アジア系の英語教師と白人の英語教師、どっちが有能?

19 3月

上海で英語教師の求人に応募したメイ(仮名)は、見た目がアジア系だという理由だけで、白人英語教師がもらえる給料より約半分の給料で雇われることになった。二回のスカイプ面接と30分のデモンストレーションを経て、彼女は仕事のオファーをもらった。

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この英語教育会社で英語教師として務める場合、経験によって時給100-180人民元を約束されている。面接時、メイは時給125人民元以下で働くつもりはないと伝えていたが、仕事のオファーのメールでは時給75人民元にカットされていた。この会社では同じ英語教師でも中国人の場合は時給40-80人民元しかもらえない。そして、アジア系であるメイは中国人に見えるという理由から、中国人英語教師と同じ扱いになり、給料が半額になった。彼女曰く、このような差別はこれが初めてではないという。

英語教員の資格を取得するために上海に滞在していたメイは、英語をまともに話せない白人が英会話を教えている場面をたくさん見てきたという。肌の色のおかげで高い給料をもらえる仕事にありつけたと誇らしげに自慢する人と話す度に、彼女は中国に深く根付く白人至上主義を痛感した。いくら文法が崩れていても、アクセントが濃くても、見た目が白人なら問題にはならないことが多い。一方で、英語を第一言語として話し、英語教員の資格を持つ彼女はアジア系という見た目が理由で白人の英語教師と同じ土俵にも立てない。

英語圏がどんどんマルチカルチャーになっているにも関わらず、英語を最も流暢に話せるネイティブ話者が白人だというイメージは未だに残っている。中国に限らず、韓国や日本でも白人の英語教師が優遇を受けるケースが多い。英会話教室の広告では白人のモデルが使われることが特に多く、英語教師=白人だというバイアスを助長している。アジアでは有色人種の英語教師が教育現場で不平等に扱われる経験をすることは珍しくない。

北米でも有色人種は同じような差別に直面している。ライアソン大学が今年発表した調査研究リポートによると、アジア系の名前の履歴書で求人に応募した場合、同じ学歴と仕事経験を持っていたとしても、白人の名前の履歴書より32.6%も返事をもらえる確率が低いという結果が明らかになった。さらに、大学院卒という学歴があってやっと、アジア系の名前の履歴書は大学卒の白人の名前の履歴書と同じ確率で返事がもらえるようになった。有色人種が北米で不利な扱いを受けるという問題はヘルスケアや教育機関などに関する調査でも同じような結果が確認されている。

国際化が進んでいく社会で、未だに肌の色で能力を判断されてしまうのは残念なことだ。結局、メイは時給75人民元という英語教師の仕事のオファーを断り、他の仕事を探すことに決めた。彼女の能力が評価される職場に出会えるように祈っている。

理想の仕事を求めて

2 1月

「もし理想の仕事を選べたら、何がしたい?」

数年前、この質問を聞かれて自信満々に当時していた仕事がそうだと答えることができた。正直な気持ちだった。2016年に入って、自分の答えは変わっていた。次の一歩に進むべきだと決心して、仕事をやめて転職活動を始めた

2009年からトロントでやってきた仕事で積んだ経験のおかげで、様々な道を進む選択肢があった。公衆衛生の経験を活かして、コミュニティや政府でヘルスプロモーションの仕事を続けることもできる。NPOのプログラムを運営する経験を活かして、他のNPOで管理職を探すこともできる。マーケティングとコミュニケーションの経験やプロジェクトをまとめる経験を活かして、全く違う分野でキャリアをスタートさせることもできる。そんな分かれ道を前にして、どうすればいいのかわからなかった。どこに向かえば本気で愛せる仕事と巡り会えるのかなんて見当もつかなかった。

もう一つ選べる道もあったが、自分は意図的にそれを避けていた。反差別教育やダイバーシティ戦略の仕事である。自分の過去の仕事では、人種差別、ホモフォビア、トランスフォビア、障がい者差別、HIVやメンタルヘルスに対する偏見などの問題を毎日のように扱っていた。コンサルタントとして、他の団体や職場でダイバーシティの促進を手伝ったり、教育プログラムを提供したりしていた。だからこそ、この仕事の難しさもよく理解していた。そんな困難な問題を自分が扱えるのか自信もなかった。足を踏み出す前から白旗を上げていた。

2016年は、方向性の違う可能性に直面して迷子になった一年だった。何度も方向転換をしたが、その度に壁にぶつかった。自分のスキルにぴったりなNPOの仕事があっても最終面接で何度も落ちた。大手企業やスタートアップに転職を試みるも興味が持てる仕事がほとんどなかった。自分の仕事が会社の利益向上に繋がったところで、それがモチベーションにならないのはわかっていた。年収が大幅に増えたところで、それイコール自分の幸せではないことも知っていた。萎んでいく可能性を目にしてますます迷った。

ある日、友達から仕事の依頼があった。次の日のイベントのために雇ったフォトグラファーにドタキャンされて友達は困っていた。他の人がいないので、フォトグラファーをやってくれないかと頼まれた。趣味で少し写真を撮る程度の自分だったが、そんなきっかけでプロフェッショナルなイベントで給料をもらって写真を撮ることになった。失敗しては大変だとプレッシャーを感じつつ、一生懸命にシャッターボタンを押した。たまたま、そのイベントは大手企業でダイバーシティ戦略を率いるリーダーによるパネルディスカッションであった。

「今の時代、ゲイなら何も差別は受けないだろう。」

某大手銀行のダイバーシティ戦略を担当する人の言葉である。その銀行に勤めればホモフォビアに出会うことがないという意味なのだろうか。有色人種のゲイでも差別は受けないのか。トランスジェンダーのゲイでも差別を受けないのか。総合失調症と共に生きているゲイでも差別を受けないのか。カメラを抱えながら、そんなことばかり考えていた。大手銀行で桁違いの年収をもらうストレートの白人男性である彼の視点からは、きっとそう見えるのかもしれない。彼が語るダイバーシティがお金儲けのための表面的なものであって、実際に差別問題に取り組むためのものではないと気付くのに時間はかからなかった。その彼の言葉がきっかけになったのかもしれない。勢いに任せて、締め切り間近に反差別教育を導入する仕事の求人募集に履歴書とカバーレターを提出した。

数日後、連絡をもらって面接に招かれた。予想外のことに少しビックリした。面接では、用意したダイバーシティ戦略と反差別教育のプランをプレゼンテーションで説明しつつ、今までの仕事でLGBT、HIV/エイズ、メンタルヘルス、貧困問題と様々な社会問題に取り組んできた経験を話した。そして、自分がゲイで、有色人種で、移民であるということも全て曝け出した。自分の最もパーソナルな部分とプロフェッショナルな部分の接点となるこの仕事がいかに自分にとって大切か力説した。その熱意が伝わったのか、それともたまたまラッキーだったのか、まさかの仕事のオファーをもらった。

明日は仕事初日である。これが自分にとって理想の仕事なのかはわからないが、とてもワクワクしている。自分から遠ざけていた仕事とこうしてまた巡り会うのは不思議な気分である。説明のできない引力が働いているのだろうと周りは言うが、きっと偶然が重なっただけだろう。隣国のアメリカでトランプ政権が暴れる側で、カナダも多様性に対するバックラッシュが起きている。そんなタイミングで反差別に取り組むのも興味深い。いずれにしても、これで前に進む道は開いた。後は一生懸命に前進するのみである。

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そんなわけで、2017年もよろしくお願いします!

血が繋がっている家族だからって、無理して親しい関係を保つ必要はない

20 12月

数日前にこんなツイートを書いたら、予想以上に反響があってビックリした。

140字だけでは説明しきれない複雑な問題だから、ブログでもっと説明したい。

子供の頃から、家族は何よりも大切だと教わってきた。うちは父と母の三人家族だったが、親戚も含めると大家族に膨れ上がった。年末年始は特にみんなで集まることが多かった。美味しい食事がたくさんあって、いとこたちと馬鹿騒ぎできるのは楽しかったが、そうではないことも多かった。絵を描くのが好きだったから、理系だらけの家族から「文系に進んではいけない」という親切な忠告をもらうことがよくあった。男らしくないとされる遊びが好きな自分は、周りからの冷たい視線にも敏感だった。こうした小さな摩擦から始まって、年齢を重ねる度に自分の居場所の面積が減っていくのを痛感した。

ゲイであると知られるのを恐れて、自分から距離を作ったのもある。大学に入学したものの、文系を選んだことでがっかりされたのもある。重い病を患っていた父と反抗期の自分の悪化した関係を理解されなかったのもある。理由が山ほど重なって、家族の集まりが息苦しい環境になった。家族からすれば好意のつもりでも、自分の視点からは鋭いナイフにしか感じられないことも多かった。相手の好意を断れば失礼で、受け取れば自分が傷付いた。血の繋がった家族だという理由だけで、そこから離れるという選択肢はないと思っていた。だから、余計に苦しんだ。

自立してくると、そこから抜け出そうとして外の世界に手を差し伸べた。友達と過ごす時間が増えて、コミュニティでボランティアする機会も多くなった。そうやって心のバランスを保っていたのだろう。ところが、家族以外のことに時間を費やす自分は家族にとって裏切り者のような存在になった。家族と距離を取るなんて冷血な人だ。家族なんだからもっと関係を保つために努力したらどうだ。私たち家族の気持ちを考えられないのか。家族から、他の人から、そんな言葉をたくさんもらった。その家族の関係が悪化したのはすべて私のせいだと彼らは言う。少なくともそう聞こえた。私だって好きじゃないけど家族のために我慢してるんだから、君も我慢するべきだ。そんなアドバイスまでもらった。そうやって「家族」という言葉が都合良く使われることに納得ができなかった。血が繋がっているからって、相手をリスペクトしなくてもいいのか。血が繋がっているからって、自分をリスペクトしてくれない人を我慢する必要があるのか。

LGBTコミュニティに参加するようになって、同じように家族との関係に悩む人たちとたくさん出会った。自分が抱えていた問題なんて、他の人に比べれば全然平和だと知った。こうして似たような痛みを共有できることで、心にのしかかっていたものがだいぶ軽くなった。そんなLGBTコミュニティで、チョーズンファミリーというコンセプトも学んだ。直訳すれば自分で選ぶ家族という意味である。差別や偏見、その他の理由で血の繋がった家族と上手に関係を結べない人はたくさんいる。家族と遠く離れた移民や難民の人だっている。彼らは家族のようなコミュニティを自分の周りに築いて、お互いをサポートしている。その形は様々だ。クリスマスという時期は家族に恵まれていない人たちにとってはつらい時期である。そんな時に、チョーズンファミリーと一緒に食事ができるだけで救われる人は少なくない。多くのLGBTグループはクリスマス当日にイベントを主催する。チョーズンファミリーの重要さを理解しているからだ。

この歳になって、母とは健康的な関係を築けるまでになった。その関係にはたくさんの時間と労力を費やした。秘訣はやはり、母が自分を家族の一員としてだけではなく、一個人としてもリスペクトしてくれるようになったからだ。「母だから」という理由だけで価値観を押し付けられることは減って、より対等な関係になった。それは「伝統的な」親子の関係とは少しズレているかもしれないが、私たちにはピッタリのようだ。血が繋がっているという理由で、私たちは「家族」という箱の中に入れられてしまう。その箱の中身は選びたくても選べないことの方が多い。それを素敵な場所だと感じる人もいれば、地獄だと考える人もいる。家族とは難しいものだ。

血が繋がっている家族だからって、無理して親しい関係を保つ必要はない。これは今の自分だから自信を持って口にできる言葉だ。長い間、そうやって生きてきた自分に罪悪感を感じていた。しかし、もうそれを悪いことだとは考えていない。どんな形の家族に価値を見出すのか、どんな家族関係を築くのか、それは個人の自由である。こうした方が絶対良いという魔法のレシピはない。その選択はリスペクトされるべきだ。

年末年始は多くの人にとって家族との距離が近くなる時期だ。家族という枠組みの中で、集団的な価値観を押し付けられやすい環境でもある。逃げたくても逃げられない状況もあるかもしれない。そんな時に、自分のために立ち上がったり、その場を去るという選択肢だってあることを忘れないでほしい。そして、家族に対する罪悪感を自分の足枷にする必要はない。

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年末年始、セルフケアを忘れずに。

 

 

海外で仕事探し – 挫折と失望の繰り返し

16 12月

2016年の初め、いきなりフルタイムの仕事を離れて自分探しをすると豪語したが、とても愚かな決断だとすぐにわかった。

トロントの失業率は悲惨な状態で、特に若い人は仕事探しに苦労している。エントリーレベルの仕事が既に絶滅状態で、数年の就労経験がない限り誰にも相手にされない。会社が人材を育てる時代は終わったのだ。仕事を始めたその日からトレーニングなしで成果を出せないなら、どんなに優秀でも価値はない。少なくとも、それが自分の経験であった。

「君に素質があるのはわかっているが、うちの会社で活躍できるようになるまで三ヶ月はかかる。君のような人材が山ほどいる中で私が君を雇う理由はない。それでもここで働きたいなら、無給のインターンシップなら考えてみてもいい。」

とあるマーケティング会社のトップから実際に言われた言葉である。悲しいことに、返す言葉はなかった。その仕事を欲しがっている人が数百人いる中で、その会社の視点からすれば自分には何の価値もない。自分がその会社に貢献できるようになるまでのトレーニング期間にお金を使うより、もっと経験と技術のある人を雇う方が安上がりだ。

「雇われたいなら、会社が君を雇うコストの二倍以上の利益を達成できると立証すればいい。それだけのことだ。」

それでは自分が金儲けのための機械のようである。しかし、社会はどんどんその方向に傾いている。利益率が物事の価値を図るものさしになって、無駄だと思われるプロセスは削除される。そんな基盤の上に構築された社会で、どうやって人間らしく生きられるのだろうか。毎月ごっそり減っていく貯金と重なっていく履歴書のコピーを見つめながら、迷子になっていた。

八月、自分の仕事経験を活かせる非営利団体三社と面接をする機会がやってきた。自分の全てをぶつけて最善を祈ったが残念な結果に終わった。三社ともとても評価してくれていたのにも関わらず、自分が選ばれなかったことが何より悔しかった。政府の予算がどんどん減っていく中で、非営利団体は仕事のない優秀な人材が溢れている。いくらベストを尽くしたところで、数年の経験しかない自分が十数年も経験のある人と競争するのは厳しい。有色人種で、ゲイで、移民で、英語にアクセントがあって、カナダで大学教育を受けていないというハンディキャップを加えると絶望的である。

ここまで挫折を味わったのは久しぶりだ。もっと若い頃は失敗が当たり前だったから、そこまで深く考えずに前に進めていた。しかし、30歳になってから転ぶと昔よりずっと痛い。プライドとエゴが前より肥大化したのはもちろんだ。以前より周りがよく見えるから、その挫折の意味を分析してしまう。そして、自分の置かれた状況が怖くて、前に進めなくなってしまう。そんな中で、母も、彼氏も、周りの友達もみんな手を差し伸べてくれた。ここまで周りに助けられたのも久しぶりである。そんなサポートがあっても孤独な戦いであることには変わりなかったが、転んだ時の痛みを少し和らげてくれたのも確かである。彼らがいなかったら自分はどうなっていたのだろう。

クリスマスが近付くと絶望感も膨らんだ。この一年で既に10社以上と面接をしてきた。面接に辿り着けるだけでも大きなステップだと理解しているが、それが仕事に繋がらないことには成果だと感じられない。履歴書とカバーレターを百通以上は書いただろう。面接に招かれるために、様々な手を尽くした。周りは自分を信じてくれていたが、肝心の自分は自分自身を疑うことばかりしていた。それでも、踏ん張って前に進むしかない。次の面接はきっと違う結果になるかもしれない。そう自分に言い聞かせる。

昨日の朝、仕事のオファーがメールで届いた。信じられなくてほっぺを抓った。ずっと待ちわびていたものがこんなにあっさりしているなんて、少し拍子抜けした。母に電話して、久しぶりに喜ばしいニュースを伝えた。彼氏もホッとしただろう。今までお世話になった人たちにお礼のメールを送るだけで丸一日かかってしまった。昨晩はなかなか眠れなかった。今回はたまたまラッキーだっただけだと理解しているからだ。

この社会、自分の努力だけではなんともならないことが多すぎる。いくら努力しても報われないかもしれないというのが今年一番の教訓だろう。成功している人が勝ち誇りながらこうすれば成功できると語る自慢話を鵜呑みにしてはいけない。決してフェアではないデコボコした世界で人間らしく生きるのは大変だ。だから、これからもたくさん挫折を味わうのを覚悟して前に進みたい。自分ならきっとまた転んでも立ち上がることができるはずだ。

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2017年と共に、新しい職場で新しいキャリアを歩むことになる。その仕事についてはまた別の機会に紹介しよう。この年末はまったり休憩して2016年の傷を癒す予定だ。

ハッピー・ホリデー&ハッピー・ニューイヤー!

トロントのプライドパレードが25分間止まった理由

4 7月

2016年7月3日に開催された第35回トロントプライドパレードは、初の試みとなったプライド月間の最終日を飾る盛大なイベントである。ジャスティン・トルドーがカナダ首相としてプライドパレードに参加し、フロリダ州オーランドのゲイクラブ銃撃事件の後ということもあって、始まる前から例年にはない熱気が伝わってきた。そして、開始からまもなくして、歴史に残る事件が起きた。

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今年のプライドパレードの先頭を立つのは、Black Lives Matter(訳:黒人の命は重要だ)である。元々はアメリカでの警察や政府による人種差別や暴力に対する反対デモ団体だが、同じ問題を抱えるトロントにもそのムーブメントは広がった。彼らが率いるプライドパレードが政治的になるのは誰もがわかっていた。

プライドパレードが中間地点を差し掛かった頃、Black Lives Matterは行進を止めた。彼らは一斉に床に座って、そこから前に進まないことを宣言した。そして、行進を再開する条件として、プライドを運営する団体であるプライドトロントに数々の要求を突きつけた。この要求の内容は大きく分けて以下になる。

1、黒人LGBTコミュニティや有色人種コミュニティ向けの支援を充実させること

2、団体のスタッフと代表にもっと有色人種を増やすこと

3、プライドから警察のフロートとブースを無くすこと

プライドトロントの代表はこれらの要求をすべて受け入れた。そして、25分間続いた座り込みデモは終わり、プライドパレードは再開した。こんな予期しないことが起きて、観客もメディアも大混乱である。パレードの後ろで待っていた自分は何が起こっているのか全然わからずに、太陽の下で真っ黒に焼けていた。ニュースが伝わると、後列の方で待機していた警察のフロートの人たちが解散した。

この座り込みデモに対するコミュニティの意見は真っ二つに分かれた。Black Lives Matterがプライドパレードを人質にして、自分たちが得する要求を押し付けたと主張する人もいれば、これがプライド本来の姿だと指示する人もいた。そして、この議論によって未だに根強い人種差別の意識が浮き彫りになった。

中でも、一番賛否両論だったのが警察をプライドから無くすという要求だった。35年前に警察による過度のハッテン場摘発で始まったトロントのプライドパレードは、ここ数年警察を喜んで受け入れるようになった。今年はテロのターゲットにされる可能性とカナダ首相の参加もあって、いつも以上に警察の数が多かった。チャーチストリート周辺のビルにはスナイパーまで配置されていたという話まである。

確かに、警察はもうゲイやレズビアンコミュニティを摘発するようなことはなくなった。しかし、有色人種やトランスジェンダーのコミュニティに対する警察の差別や暴力は未だに大きな課題である。それにも関わらず、トロント警察はLGBTコミュニティとの関係が修復されたかのようにプライドにブースを出し、パレードにも参加している。そんなダブルスタンダードをピンクウォッシュだと批判する人は多い。

それに加えて、プライドトロントとトロントの黒人LGBTコミュニティの間にも確執の歴史がある。お金を出してくれるスポンサーを優先しがちなプライドトロントは、黒人LGBTコミュニティに人気のイベントやスペースに不利な変更を幾度と強要してきた。プライドトロントのコミュニティに対する姿勢もまた長い間指摘されてきた問題である。

これらが背景にあったからこそ、この座り込むデモが起きた。礼儀正しくプライドトロントに語りかけたところでずっと変化はなかった。だから、こうしてプライドパレードを止めてまで変化を強要する必要があった。そして、やっとプライドトロントに対する訴えは届いた。

Black Lives Matterがプライドパレードの先頭を歩くと決まったとき、LGBTコミュニティの中から反感の声がたくさん上がった。彼らからすれば、どうして黒人コミュニティが自分たちと関係があるのかわからなかったようだ。この座り込むデモのニュースが流れると、彼らはBlack Lives Matterにそんな要求を押し付ける資格はないと怒った。彼らの目からすれば、Black Lives MatterはLGBTコミュニティの敵に見えるのかもしれない。

まず、黒人コミュニティはLGBTコミュニティの一部である。彼らがプライドトロントに不満を感じているなら、声を上げる資格はもちろんある。1969年6月29日にニューヨークのストーンウォールで起きたデモだって、有色人種やトランスジェンダーの人たちが先頭に立っていた。そんな勇気ある人たちが警察に歯向かったことで、こうして変化が続いてきた。この座り込みデモだって、LGBTコミュニティのための戦いである。それを理解できないのは、有色人種やトランスジェンダーの立場が想像できないからなのかもしれない。

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同性婚が認められて、人権も保護されて、カナダは確かにLGBTコミュニティが暮らしやすい社会といえるのかもしれない。だからといって、ホモフォビアがなくなった訳ではないし、トランスフォビアは未だに根強い。有色人種ならそれらに加えて人種差別だって受ける。LGBTコミュニティの中にも格差がある。お金持ちの白人のゲイなら何も影響はないのかもしれないが、黒人のトランスジェンダー女性にとっては別の現実がある。今回のプライドパレードはそれを再認識させてくれた。そして、Black Lives Matterの勇気ある行動に感謝したい。

 

 

 

LGBTとムスリムが一緒になってラマダンの朝食を食べた

25 6月

フロリダ州のゲイクラブ銃撃から二週間が経とうとしている夜に、トロントのLGBTコミュニティセンターでラマダンの朝食集会が行われた。トロントのムスリムコミュニティ、LGBTコミュニティ、そして、LGBTムスリム・コミュニティが一緒になって企画したイベントである。イスラムフォビアとホモフォビアと立ち向かうために200人以上が参加した。

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フロリダ州のゲイクラブ銃撃を誰かのせいにするのは簡単だ。事件が起きた週末のニュースはオマル・マティーン容疑者がムスリムであることやテロ組織との接点ばかりにスポットライトを当てていた。事件の数日後、オマル・マティーン容疑者がゲイクラブの常連で、ゲイ向けの出会い系アプリを使っていたという証言が出てくると、それに合わせて報道の矛先もターゲットを変えた。一方で、フロリダ州にはLGBTコミュニティの人権を保護する法律がない。この事件で負傷した被害者はそれを理由に仕事をクビにされる可能性だってある。

皮肉なことに、フロリダ州のゲイクラブ銃撃はラマダンとプライドの最中に起きた。社会に溢れているイスラムフォビアとホモフォビアのおかげで、胸を張ってラマダンとプライドの両方に参加できる人は多くない。特に、ゲイやレズビアンでムスリムの人や、トランスジェンダーでムスリムの人たちにとって、自分らしくいられる場所は限られている。自分自身のアイデンティティが社会の中で敵対する立場にあるのは辛いものだ。この事件の後は尚更肩身が狭いのだろう。

「LGBTとムスリムのコミュニティを集めて、公園でピクニックがしたい!」

そんな友人の提案がきっかけだった。どんどんボランティアが現れて、コミュニティから寄付金も集まった。チャーチストリートのLGBTコミュニティセンターはスペースを提供してくれた。どうせならと、日没後にみんなでテーブルを囲んで一緒にラマダンの朝食を食べることになった。小さなアイデアがあっという間に大規模なイベントに発展していった。きっと、こんなときだからこそ、肩を寄せ合えるような場所が必要とされていたのかもしれない。

イベント会場の入り口には、ムスリムコミュニティとLGBTコミュニティの両方からの反差別声明が掲げられていた。トロントのムスリムコミュニティで活動するリーダーたちは、周りから批判されてもLGBTコミュニティを支援する姿勢を崩さなかった。誰かの生き方や属性に同意できなかったとして、相手を偏見したり、差別したりしてはいけない。それがイスラム教の教えであると一人の若いリーダーは語った。

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イベントが始まる前に、他のボランティアたちと断食明けのスナックを用意した。狭いキッチンの中で作業をしながら、みんなからこのイベントを良いものにしたいという真剣な意思が伝わってきた。

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イベントが始まると、あっという間に座席が埋まった。驚いたことに、トロント市長のジョン・トリーまで一緒にラマダンの朝食を食べに来ていた。イベント後にゲイバーに行くと言っていたので、市長としてプライドを満喫中なのだろう。

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9:03PMの日没に合わせてお祈りが行われた。このお祈りの形式についてはイベントが始まるまで意見が分かれていた。男性と女性が同じスペースで祈ることに抵抗を持つムスリムの人は少なくない。百歩譲って男女一緒に祈るとして、男性や女性と自認しない人はどうすればいいのか。最終的に、男性は左側、女性は右側で祈ることになり、暗黙の了解でどちらでもない人は真ん中で祈った。

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お祈りが終わると朝食の時間である。日没は遅いトロントに暮らしているとラマダンの断食も大変だろう。トロント郊外のハラルレストランが提供してくれた食事は絶品だった。

プレートいっぱいの食べ物を持ってテーブルに座ると、周りが笑顔で溢れていることに気付いた。ゲイやレズビアンのカップル、子供連れの家族、民族衣装を身にまとった人、取材に来ていたメディアなど、そこには多種多様の人たちがいた。その違いを持ち寄って、同じテーブルを囲んでこうして食事を楽しんでいる。それぞれの生い立ちを共有しながら、自分とは違う立場のストーリーに耳を傾けている。多文化共生のトロントでさえこんな光景は珍しい。そして、それにとても励まされた。

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イベントの後、帰り際にLGBTコミュニティセンター前のステップが光っているのに気付いた。そこにはフロリダ州のゲイクラブ銃撃で亡くなった人たちのための花束やカードが捧げられていた。多くの人たちが立ち止まって、時間をかけてメッセージを読んでいた。今年のプライドはなんだかお互いを支えようという愛のこもった空気が流れている。

フロリダのゲイクラブ銃撃について

13 6月

いつもと同じ日曜日の朝。

紅茶を飲みながら携帯をチェックした。

フロリダのゲイクラブ銃撃のヘッドラインでニュースフィードが埋め尽くされていた。

「死者20人」という数字はどんどん増えて、午後には「死者50人」になっていた。

イスラム教徒であるオマル・マーティン容疑者がゲイを嫌悪していたという証言も出てきた。

そんな悲しいニュースと共に、ネット上は醜い言葉で溢れていた。

多くの人たちは怒りの矛先をイスラム教徒へと向けた。

携帯の電源を切った。

正直、あまりのショックに頭の中が真っ白だった。

6月、トロントはプライド月間を盛大に祝っている真っ只中である。

プライドが抗議デモから祝典に変わったのは、それだけ社会が変わったという証拠だ。

しかし、2016年にフロリダのゲイクラブで50人が銃殺されたというニュースはそれを揺るがすには十分だった。

その場にいた人たちのことを考えただけで胸が痛んだ。

時代が変わっても、ゲイだということで殺される。

その現実は残酷だ。

そして、今でも多くの人が差別や偏見のせいで命を落としている。

毎年、多くのトランスジェンダーの人たちがヘイトクライムで殺されている。

LGBTコミュニティの自殺率は相変わらずで、いじめ問題も深刻である。

ゲイクラブの帰りに夜道を歩く時、恐怖とは隣り合わせだ。

同性婚という華やかな権利で何もかも解決したわけではない。

今夜、世界各地で追悼イベントが行われた。

トロントも例外ではない。

ロウソクを手に握って、1000人以上の人たちがチャーチストリートに集まった。

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トロント市長やオンタリオ州首相まで出席していたことに驚いた。

近くに立っていた男の子は声に出して大泣きしていた。

周りの人たちは彼を気にかけていた。

そこには笑顔や優しさや愛が溢れていた。

こうやって支え合うことで、このコミュニティは悲しい出来事を乗り越えてきた。

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「暴力に対して、暴力で立ち向かってはいけない。このコミュニティは愛で暴力に打ち勝ってきた歴史がある。どうか、イスラムフォビアでホモフォビアに対抗しないでほしい。」

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「ゲイを嫌う行為も、イスラム教徒を嫌う行為も、同じ差別である。別々の問題ではない。片方の差別を許さずに、もう片方の差別に手を貸してはいけない。」

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「フロリダ州と同じように、トロントにも未だに問題がたくさんある。ホモフォビア。トランスフォビア。人種差別。性差別。そうした問題から目を背けてはいけない。」

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数々のスピーチの末に、数え切れないロウソクに火が灯された。

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暖かい光に照らされながら、手を繋いでみんなで祈った。

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朝からずっとモヤモヤしていた気持ちが少し晴れた気がした。

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「こんな悲しい事件があったからって、私たちがプライドを祝うことをやめるわけがない。暴力と恐怖で攻撃されるなら、私たちは愛で立ち向かうだけだ。自分を誇りに思う権利は誰にも奪えない。」

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このスピーチの言葉がとてもしっくり来た。

今年のプライドは例年以上に盛り上がりそうだ。