アーカイブ | 3月, 2013

フェアな社会とは何か?平等と特権と差別をもう一度考える。

16 3月

ここ最近、ツイッターで差別に関する議論をすることが多い。

そうした議論になる度に、平等と特権をあまり理解してない人から反論リプをもらう。

あからさまな煽りはスルーするけど、議論できそうな人には時間をかけて説明したりもする。

ただ、140文字の縛りでこれを説明するのは本当に大変なのよ!

そんなわけで思いっきり愚痴ってしまったわ。

だから、社会の基本である平等と特権のこと、もう一度おさらいしようと思う。

この記事のリンクを貼れば、毎回必死に140文字で説明する必要もないからね

まず最初に、平等(equality)に関する誤解を解こうかしら。

「人間はみんな生まれながらにして平等だ!」

という言葉は聞いたことあるかしら?

コレ、思いっきり嘘よ。

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人間がみんな同じ形で生まれて来るわけがない。

男の子だったり、女の子だったり、それ以外だったり。

貧しい家庭に生まれたり、裕福な家庭に生まれたり。

“五体満足”だったり、障がいを抱えていたり。

先進国に生まれたり、発展途上国に生まれたり。

キレイな人もいれば、ブサイクな人、どちらでもない人もいる。

もう生まれた時点で、みんな不平等な位置にいる。

これは否定しようがない社会のリアリティーよ。

そして、この不平等で人それぞれ違う特権(privilege)を持つ。

特権というのは、社会の中でどれだけ優位な立場にいるかということ。

簡単に言えば、恵まれているかどうかである。

白人と有色人種、どちらの方が優位?

男性と女性、どちらの方が優位?

ゲイとストレート、どちらの方が優位?

障がいを持つ人と持たない人、どちらの方が優位?

もう言わなくても答えがわかると思うけど。

想像力の無い人のために、一応答え合わせもしておくわ。

大手企業のトップは誰?

映画やドラマで主役になるのは誰?

白人で、男性で、ストレートで、障がいを持たない方が優位に決まってるわ。

特権とは面白いもので、人によってどれだけ優位かかなり違って来る。

例えば、白人でストレートという特権で優位にいる人が。

実は女性で目が見えないという劣位にいることだってある。

そんなに単純ではないが、ある意味足し算引き算に似ている。

簡単に計れるものではないからこそ、自分と相手の特権を認知することは大切。

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「俺にできたんだから、他の人にもできて当然だ!」

こんなことを得意気に話す人は自分の特権がまるで見えていない。

その成功が特権を持たない人の犠牲の上に成り立っていることも知らない。

キャシーが今トロントでこうしてゲイとしてオープンに生活してるのは。

あたしが努力をした結果ではなく、あたしが持つ特権のおかげよ。

あたしは男性だし、大学と留学ができるほど余裕があった。

障がいもないし、深刻な病気もないし、フルタイムの仕事もある。

優位に立っている人ほど周りのことが見えなくなりやすいから。

自分の特権を忘れないで、常に謙虚にいないといけない。

そんな特権をわかりやすく例えると、こんな感じの絵ができるわ。

Untitled-1

この4人はみんなリンゴに手を伸ばしている。

しかし、身長が違うから届く人も届かない人もいる。

この身長の違いがまさに特権の違いを表しているわ。

Untitled-2

リンゴに手が届かない2人はこのままではお腹が空くので。

彼らを助けるために足下にステップを置いてみたわ。

ほら、こうするとみんなリンゴに手が届く。

絵本の中なら、このままめでたしめでたしとなる。

しかし、ここは現実なのよ。

「なんでお前らだけステップがもらえるんだ!」

「それは差別じゃないのか?」

身長が元々高い人たちはステップをもらった2人に文句を言う。

彼らにはリンゴが身長の高い人に合わせて置いてある事実が見えない。

これってまさに今の社会で起きてることを物語っているのよ。

「女性専用車両は女尊男卑で差別的だ!」

なんて文句を言う人が山ほどいるのはなぜ?

それはこの社会に自分自身の特権が見えてない人が多いから。

女性専用車両や国際女性デーがあるのはなぜ?

それは社会の中で抑圧されている女性のための“ステップ”だからよ。

女性は同じ仕事をしても男性よりもらえる給料は少ない。

今でも女性=専業主婦というプレッシャーもある上に。

毎日痴漢やレイプを心配する必要まである。

女性専用車両ができたくらいで女性優位だと騒ぐ人はケツの穴が小さいわよ!

例えば、トロントには日本人向けの福祉サービスがある。

「どうしてわざわざ日本人向けなんだ?差別じゃないのか?」

こんなことを言う想像力に乏しい人ももちろん出て来る。

トロントに移住して、英語も出来ずに、新しい文化に慣れるのは大変なこと。

そんな中で、日本語でアクセスである福祉サービスは大きな支えとなる。

そんな彼らに英語のサービスを使えというのはあまりに心無い。

それと同じようにゲイパレードも、バリアフリーも、黒人歴史月間も。

どれも差別なんかではなく、人間が平等に生きれるためにできたものだ。

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もし、この世界が完璧で、人間が皆生まれながらにして平等だったら。

きっと女性専用車両も、ゲイパレードも、バリアフリーも必要なくなる。

ただ、そんな社会は夢の中の話なので、もっと現実的な話をするわよ。

人権というのは、たとえ男性でも、女性でも、障がい者でも、ゲイでも。

人間なら誰でも同じように“リンゴ”に手を伸ばせば届く権利を守って。

一部の人にパワーを与えすぎないように、社会の中のバランスを維持すること。

そのままでは届かない人に“ステップ”を渡すのは差別ではなく「EQUITY」だ。

人間皆平等だとする「EQUALITY」という考え方とは違って。

社会はいかなる人に対してもフェアでなければならないのが「EQUITY」である。

カナダのリベラルな会社では、同じ能力と経験がある社員が2人いたとして。

彼らのどちらかを昇進させるかという話になった時、特権が大きな要素となる。

一人が男性で、もう一人が女性なら、女性が選ばれる。

一人が障がいを持ち、もう一人が持たないなら、障がいを持つ人が選ばれる。

これは「EQUITY HIRING」とも呼ばれ、よりフェアな社会を目指すポリシーよ。

もうお約束となっているが、カナダでもこれに文句を言う人がごまんといる。

「EQUITY」あるところに、文句を言う特権階級あり。

自分が恵まれてることに気付かない人は「EQUITY」のコンセプトが理解できない。

だから最終的にこの言葉に戻ってきてしまう。

「もっと想像力豊かな人になろう!」

他人の立場で物事を見たり、違う視点から自分を見たり。

こういうことができないと偏った考え方しかできなくなる。

女性専用車両が理解できない人と話してるとよくわかるが。

想像力に乏しい凝り固まった議論しかできない人が多いのよ。

私たちが暮らす社会は目に映るほど完璧ではない。

普段は姿を隠しているけど、人種差別や性差別は未だに根強い。

その差別や偏見の影響を毎日受ける人たちは、それでも生きて行くしかない。

そんな中で、みんがもう少し特権や差別に敏感になれたら。

もう少し生きやすい社会になると思わない?

少なくとも、あたしはそう思うわ。

トロントで急増中のおこげ男子。

4 3月

おこげ男子。

なんて美味しそうな響き。

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“おこげ”といっても、もちろん食べ物のおこげではない。

ゲイ男性といつも一緒にいるノンケ女性の俗称の“おこげ”よ。

つまり、オカマにこびり付いたおこげ、本当に失礼な表現よね。

英語だとfruit fly(果物=ゲイ、蠅=女性)だったり、fag hagとも呼ばれる。

まともな呼び名がないので、キャシーもとりあえず“おこげ”と呼ぶわ。

もう気付いたと思うけど、本来“おこげ”はノンケ女性を説明する言葉。

ゲイクラブで踊ったり、ゲイ友達とショッピングやお茶会したり。

ノンケ女性とゲイ男性の友情の歴史は長かったりする。

ゲイと女性の友情を描いた『Will & Grace』も記憶に新しいわよね。

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それが最近、トロントのおこげ市場に変化が起きている。

ゲイクラブに現れる見たことの無いイケメン。

一緒に散々ダンスして、デートにでも誘おうとすれば。

「あ、ごめん。俺ノンケだから。」

とあっさり爽やか笑顔で断られる。

そんな光景が最近どんどん増えているらしい。

数年前、キャシーがまだクラブでバリバリ踊ってた頃の話。

上半身裸で踊るマッチョの男子集団をゲイクラブで見つけて。

「何アレ?」

と彼らを指差して友達に聞いたら。

「アレはノンケよ。ゲイ友達と一緒にゲイクラブに来てるだけだから、セックスやデートに誘っても無駄よ。」

と教えてもらって、カルチャーショックを受けたわ。

あんたら、ゲイクラブでそんな肉体美見せつけて何のつもり?

美味しそうな肉体をよだれ垂らして見てるだけで食べられないなんて。

これってちょっとした拷問じゃない!

思春期の苦い思い出があるから、そんなノンケ男性にエゴに栄養は注ぎたくない。

でもタイプの人が思わせぶりな態度で接してきたらゲイ、ノンケ関係なくドキドキしちゃう。

そんなジレンマを抱えたキャシーは最近知り合いのノンケ男子と話す機会があった。

「何が楽しくてゲイクラブ来てるの?」

と興味本位に聞いてみたら。

「ゲイクラブに行くとさ、もうみんな俺のことを見て来るわけよ。こんなに注目を浴びることなんてないから、めっちゃ気持ちがいいんだよね。酔ってれば多少触られるのも気にならないし、みんなで楽しく踊れれば満足。」

と真っすぐな瞳でキャシーを見て笑顔で答える彼。

悔しいほどイケメンな彼から目を反らして反応に困るあたし。

心の中でメラメラ燃え上がるのはいったい怒りなのか恋心なのか。

マジでなんなの?

こんな風にゲイと遊ぶノンケ男子が増えた背景には。

やっぱりトロントの社会の変化が大きく影響しているんだと思う。

同性婚もあって、ゲイも至る所にいて、同性愛は“フツー”なものとなった。

ホモフォビアも減って、ノンケとゲイの間の壁も薄くなってきた。

特にリベラルなノンケ男子なんかは、ゲイカルチャーを気に入ってしまって。

ゲイクラブでゲイたちと踊り狂って、おこげ女子をナンパする。

キャシーはそんな彼らをおこげ男子と呼ぶことにしよう。

ある意味、ゲイにとってはカオスな時代となってきたとも言えるわね。

ゲイクラブで「ゲイですか?」と確認するのって滑稽だし。

最大の謎はおこげ男子のイケメン率が高すぎるということ。

手に入らないから可愛く見えるの?

それともただの偶然?

もうキャシーわからないわ。

日本でも増えてるかしら、おこげ男子。

セス・マクファーレン、アカデミー賞のおっぱいソングは不謹慎?

1 3月

今年のアカデミー賞授賞式見た?

うちのテレビはケーブルとか契約してないので。

授賞式の次の日の朝、衝撃のニュースを目にしたのよ。

『セス・マクファーレン、アカデミー賞授賞式のオープニングでおっぱいソングを歌う!』

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セス・マクファーレン(Seth Macfarlane)、日本では馴染みが無いかもしれないけど。

『ファミリー・ガイ』や映画『テッド』の制作者といえばピンと来るかしら?

声優として多彩な声を操り、ジャズも歌えて、頭の回転が速く、本当に才能豊かな人なのよ。

なんだけど…この人ジョークにかなり難アリなのよね。

『ファミリー・ガイ』のようなアニメでは過激なジョークも見過ごせるけど。

映画『テッド』のジョークは行き過ぎた部分も多く、笑えないものも多かったわ。

(あたしが『テッド』のディレクターズカットの方を見たせいかもしれない)

差別無くすべての人、文化、社会問題を笑いにするのが彼のスタンスだけど。

正直、たまにただの男尊女卑の人種差別家にしか聞こえなくもないのよ。

視聴率低迷に悩むアカデミー賞は今年、そんな彼を司会者として抜擢。

「いったいどんな過激なことを言うの?」

と、メディアはこぞって彼を祭り上げて。

アカデミー賞の狙い通り、授賞式は大盛り上がりなままスタートを切った。

そして、セスは予想を裏切らない過激な司会を全うした。

まずは、問題のおっぱいソング。

映画の中でおっぱいポロリしたハリウッド女優たちを名指しで歌った彼。

プロの仕事として、芸術作品のために脱いだ彼女たちだが。

彼のこの歌で、世の男性のオカズに格下げされたわけだ。

ダウンロード

ほら、シャーリーズなんか凄い怖い顔してるじゃないの!

(ジェニファーが喜んでるのはまだ映画でおっぱい出してないからよ)

カットで入る女優たちの反応は実は事前に撮影されたもの。

ジェニファー・ローレンスも、シャーリーズ・セロンも、ナオミ・ワッツも、きっとセスのジョークに賛同して協力したと思うのね。

こんな感じで、芸がやたら細かいのもセスのスタイルよ。

もちろん、このおっぱいソングはただの始まりに過ぎず。

授賞式の最中、彼は終始聞いてる方がハラハラするようなジョークを連発した。

ここまでやらかして、メディアが黙ってるわけがない。

セス・マクファーレンのアカデミー賞授賞式は敵意たっぷりで、醜くて、男尊女卑な一夜だった」と雑誌ニューヨーカーの記事は怒りが籠っていた。

そんな批判の多さを他所に、今年のアカデミー賞授賞式は2010年ぶりの高視聴率となった。

あたしも周りの友達や同僚にアカデミー賞についての反応を聞いてみたのよ。

「セスを雇ったアカデミー賞はこれを黙認したんでしょ?彼は自分のスタイルを貫いただけ。全然良い仕事したと思うよ。」

「本当にセスありえない。あんな大舞台で女性をバカにして、さらに人種差別的なジョークばかり言って、弱者を攻撃して笑い取るなんて卑怯すぎる。」

そしたら、見事に意見は真っ二つに割れてて興味深かったわ。

これはあくまでキャシーの価値観なんだけど。

弱者を攻撃して笑いを取るジョークは芸がない人のすること。

女性や有色人種をバカにして笑えば、そのジョークに潜む攻撃性に気付かない人は笑うよ。

もしくは自分が言いたくても言えないから、代弁してくれたことで笑うよ。

誰も言えないことをバンバン言うから、放っておいても話題になるよ。

ただ、そんなジョークがいかに弱者を傷つけ、社会を後退させるかも考えるべきね。

こんな大舞台で、自分のジョークにどれだけ影響力があるのか考慮しないのかしら。

そして、こういうこと言うと決まってこう返す人がいる。

「冗談なんだからそんなにマジになんなよ!」

あなたにとっては一瞬で済んでも、多くの人にとっては毎日受ける差別なのよ。

本当にスキルのあるコメディアンは弱者を笑いのネタにする必要は無い。

その例として、今年のゴールデングローブ授賞式のオープニングを見てほしい。

過去数年、ゴールデングローブは過激発言で有名なコメディアンを司会に抜擢した。

彼のジョークも今年のアカデミー賞と同様に批判を浴びつつ、大きな話題となった。

そして今年、ゴールデングローブは司会を一新し、笑いのスタイルを転換した。

司会者であるティナ・フェイとエイミー・ポーラーは弱者を笑いのネタに使うことなく、ポジティブな笑いを届けている。

「あたしたち、今日は過激なジョークは言いませんから。」

ティナ・フェイの言葉はアカデミー賞に対する当てつけのようにも聞こえる。

実際、彼女たちのジョークはスマートで洗練されていた。

たかがジョーク、されどジョーク。

軽く見てはいけないわ。