人生いろいろ、プライドも色々

三年ぶりのトロントプライド、本当に、本当に凄かった。

チャーチストリートを埋め尽くす人、人、人!

まるでパンデミックなんてなかったかのような盛り上がりで、ちょっとした異世界に来た気分だ。プライド直前までコロナにかかって苦しんでいた自分はあまりの解放感に慣れずに戸惑っていた。しかし、5秒もかからずに気持ちは切り替わって、すっかりプライド祝福ムードに突入した。人間(あたし)って単純なものね。

飲み過ぎて千鳥足になってしまい、公園で四つん這いになって嘔吐し、うちのパートナーに支えられてやっと家に帰ったことは秘密よ。

プライドパレード当日、二日酔いがあまりに酷過ぎて、パレードが出発する時刻になってもベッドから出れずにいた。今年でトロントプライドに参加するのは13回目で(2008年にトロントプライドに初参加した初々しいキャシーはこちら)、パンデミックで2020年と2021年のプライドが中止になっていなければ15回目のはずだった。そんなプライド皆勤賞の自分がパレードを見逃すなんて凄く悔しいが、「たまには、いいか」という声も胸の中で小さく響いていた。そんな心境の変化は、友達が送ってくれた写真(下)が心に残って、自分のプライドへの向き合い方について考えるきっかけをくれたからかもしれない。

プライドは今や世界各地で開催されるようになったが、その輪郭はとてもあやふやで、場所や文脈、参加する人で多様な形に変わる。トロントのプライドを例にすれば、原点は抗議デモで、やがてコミュニティが集まるセーフスペースになり、ダンスパーティやコンサートも増えて、いつの間にか最大級の観光イベントと化し、企業が高額な広告を払う商業的価値まで備えた。意図も、政治観もバラバラかもしれないが、プライドではこれらが歪な形で共存している。一つの枠で括れないし、方向性をコントロールするのも難しい。

あたしの周りを見ても、プライドの楽しみ方はみんなバラバラである。ダンスイベントのチケットを買い揃えて毎晩朝まで踊るパーティ好きもいれば、ストリートフェアをぶらり歩いて買うもの買って帰宅する人もいる。キャシーみたいに、金曜日のトランスマーチ、土曜日のダイクマーチ、日曜日のプライドパレードに毎年欠かさずに参加する人もいる。今年の場合、アメリカ最高裁の中絶の権利に対する判決がプライドの直前だったため、ダイクマーチでは中絶の権利を支持する声が強かったし、マーチが終わった後そのまま抗議デモに参加した人も多かった。

最近友達になった人で、パンデミック中に海外からトロントに引っ越してきて、いつも「もっとゲイ友達欲しい」と嘆いている男の子がいる。彼は今までプライドに参加したことが一度もない。にもかかわらず、なぜかプライドには無関心。プライド直前にいろんなイベントを勧めても微妙な顔を返されるし、プライド中に誘っても「疲れた」の一点張り。プライドが終わるまで、彼は一歩もチャーチストリートに足を踏み入れなかった。正直、彼の行動は全く理解できなかった。しかし、それでいいのだ。

だって、あたしが思っている「プライドはこうあるべきだ」という主張を相手に押し付けても仕方がないでしょ。彼にはその結論に辿り着いた道のりがあるし、彼が納得する行き先を選べばいい。それが「間違っているのか」、それとも「正しいのか」は、彼が決めることである。

二日酔いが治らないまま、結局夕方にチャーチストリートを散歩しに来たあたし。顔はパステルブルー。空はパステルピンク。周りを歩く人混みはカラフルすぎて、頭がぐるぐるする。時計を見れば、プライドパレードがスタートしてから5時間近く経っている。あまり期待せずにヤングストリートを覗けば、なんとパレードがまだ続いていた。大騒ぎする観客たちから少し距離を置いて、静かに応援する。今までプライドパレードにこんなに参加してきて、最後尾を見たのは初めてだった。誇らしく全裸で歩くヌーディストのフロートがあったことに関心しつつ、プライドパレード皆勤賞を維持できたことに少しホッとした。

プライドには様々な形があるけれど、自分はやっぱりマーチやパレードに参加した後、この独特な熱気と余韻に浸るのが好きだ。プライドが終わるとやっぱり寂しいし、今から次のプライドが待ち遠しい。

ハッピー・プライド!また来年。

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