215人の子供の遺骨と、カナダの宿舎学校の残酷な歴史

カナダのブリティッシュコロンビア州で、先住民向けの寄宿学校の跡地から215人の子供の遺骨が発見された。過去の記録によれば、この宿舎学校で命を落とした先住民の子供の数は51人とされていたが、レーダーを使って学校の跡地を捜査したところ、記録の4倍以上もの遺骨が見つかった。カナダに住んでいても、先住民向けの宿舎学校がそもそもどんな場所で、そこでどんな酷いことが起きていたのか、知らない人が多い。

宿舎学校とは、19世紀後半から近年まで、先住民の子供に同化教育を提供するために設立された施設で、キリスト教会によって運営されていた(もっと詳しく学びたい人はこちら)。宿舎学校の目的は、先住民の子供を家族、コミュニティ、言語、文化から切り離し、白人キリスト教を強要させ、「先住民としての資格」を剥奪するためにあった。宿舎学校に連れて行かれた子供たちは身体的虐待、心理的虐待、性的虐待を受け、劣悪な生活環境の元で感染病やその他の理由で命を落とした。中には人体実験に使われた子供たちもいた。宿舎学校が亡くなった子供の数は3000人から6000人ほどだと推測されているが、ちゃんとした記録が残っていないため、正確な数はわからない。

なぜ宿舎学校というものが設立されたのかというと、それはカナダの同化政策である。同化政策というのは、権力を持つ民族が弱い立場にいる他の民族に対して文化を強いる行為で、世界各地で先住民や少数民族が同化政策によって苦しめられている。カナダの場合、フランスによる北アメリカ大陸の植民地化を経て、英国の支配下に入り、そして1867年に自治領カナダになる過程で、大量の先住民が虐殺されている。同化政策といえば響きがソフトだが、実際のところは他民族の浄化や除去を目指す差別的な政策であって、その政策で集団虐殺が起きた歴史を忘れてはいけない。宿舎学校もその政策の一貫であって、先住民の子供たちの命は意図的に軽視されてきた。

宿舎学校に連れて行かれた先住民の子供たちは、親が用意してくれた服や荷物を燃やされて、長い髪の毛を短く切られた。名前は変えられて、先住民の言葉を口にすれば体罰を受け、教育を通して先住民の文化は野蛮で白人よりも劣っていると教わった。宿舎学校は先住民のコミュニティから遠い場所に意図的に設置されたことで、家族との面会は限られていた上に、面会できても学校に厳しく監視された。子供を奪われて、ずっと顔も見れなくて、突然亡くなったとの知らせを受けた親はきっとまともな説明ももらえなかったと想像できる。記録に残ってない遺骨の数からして、自分の子供がどうなったのかもわからなかった親も多かったのだろう。

生きて宿舎学校から出れた人もハッピーエンドが待っているわけではない。言葉と文化を失ったことで先住民のコミュニティで居場所を失うケースは珍しくない。先住民文化に否定的な教育を受けたことで、自らのコミュニティを拒絶する人もいる。どちらにしろ、宿舎学校での過酷な経験は深い心の傷として残ってしまう。カナダの最後の宿舎学校は1996年まで運営していたため、自分自身がサバイバーである人に加えて、両親や祖父母にサバイバーを持つ人も多い。世代を越えたトラウマを抱えた先住民のコミュニティにとってメンタルヘルスは深刻な問題で、アルコールや薬物中毒で苦しむ人口も多い。こうした社会背景を知らずか、先住民コミュニティに「アル中でダメ人間」などのレッテルが貼られてしまう。

宿舎学校を「歴史」として片付けるのはまだ早い。先住民のコミュニティは現在進行形で宿舎学校の影響を感じている上に、先住民の女性や子供の高い死亡率や失踪率は未だに解決していない(カナダのMissing and Murdered Indigenous Women運動についてはこちら)。ジャーナリストであるTanya Talagaはオンタリオのサンダーベイで、なぜ先住民の子供や若者が立て続けに亡くなっているのかについて調べてきた(彼女の本はこちら)。先住民のコミュニティに高等教育がないため、先住民の学生は家から遠く離れた場所で高校に進学する以外選択肢がない。2000年かた2011年の間、そうやってサンダーベイにやって来た7人の先住民の学生は遺体で見つかったり、原因不明の突然死を起こしているにも関わらず、政府から何も取り組みがなかった。自身も先住民であるTanya Talagaによる報道がなければ、こうした問題はもっと長い間無視されていたかもしれない。最後の宿舎学校の閉鎖から25年経っても、先住民の命が軽視される社会は未解決のままである。

教育に関わる仕事にずっと携わってきて、教育を通して反差別やダイバーシティにも取り組んできたから、カナダの宿舎学校の歴史は自分に鋭く刺さる問題でもある。数年前に大学院に入学した時、最初の講義で宿舎学校について学ぶことになった。そこで読んだ文献に記されていたサバイバーの体験談はあまりに残酷で、泣いてしまってなかなかページが進まなかった。教育が差別や虐殺を正当化する道具として使われていたと考えると非常に悔しい。奪われた土地で教育を提供をするということは、宿舎学校の歴史の文脈を考慮しなくてはいけないし、教育に存在する二面性にも真剣に向き合う必要がある。一筋縄にはいかない問題だからこそ、勉強を怠らずに、地道に行動を重ねていくしかない。

最後に、Chanie Wenjackの物語を紹介したい。先住民オジブウェ族だった彼は、9歳に宿舎学校に連れて行かれて、そこで”Charlie”という名前を与えられた。1966年、12歳になった彼は宿舎学校から逃走して、600キロメートルの道のりを歩いて自分の家に帰ろうとしたが、その途中で寒さと飢餓が原因で命を落とした。彼の経験を元に制作されたアニメーションは以下のビデオ(2:37-46:14)で見れる。彼の死によって宿舎学校での悲惨な状況が公となり、法律の見直しや先住民の自律運動へと繋がっていった。今でも、彼は多くの人たちの心の中で強さと希望の象徴として生きている。今回215人の子供たちの遺骨が見つかったことで、先住民の自律運動がもっと前進することを祈っている。

Photos by Brian Chang

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