あたし、カナダに来てから『ゴールデン・ガールズ』を一度も見たことがないという理由で、ゲイ男性として失格だと怒られたことが何度もあったんだけど、それでもなかなか見る機会に恵まれなかったのよ。1985年(あたしと同い年)にスタートした本作は、可愛いおばさん4人が同じ屋根の下で暮らすコメディドラマである。全7シーズンも続いた人気作でありながら、今でもカルト的な人気を誇っている。特にゲイコミュニティでは熱狂的なファンが多いという印象。そして、ドラマ自体を見たことがない自分でも、パロディや引用を通してその偉大な影響力を痛感していた。

そんなキャシーもゲイ男性としての洗礼を受ける覚悟ができて、やっと先日から『ゴールデン・ガールズ』を見ている。しかし、まさかシーズン1の一話目からどっぷりハマってしまうとは予想していなかった。人生経験豊富でちょっと擦れてるおばちゃんたちの巧みな毒舌はあまりにも鋭くて勉強になるし、彼女たちの恋愛やセックス話は『セックス・アンド・ザ・シティ』に負けないくらい開放的だ。さすがに時代が違うので価値観が合わない場面は多少あるが、それでも十分に魅力的な作品である。パートナーを亡くしたり、離婚を経て、こうやって年齢の近い友達とシェアハウスしている彼女たちの姿は、2021年に生きるゲイの自分に通じるものがある。しかも、家のインテリアがめちゃくちゃギラギラしてて素敵なのよ。この作品がなぜここまでゲイコミュニティを虜にするのかわかったような気がする。そして、『ゴールデン・ガールズ』の知名度が日本で低いのは残念で仕方がない。思春期の頃にこんな作品に出会っていたら、きっと夢中になっていただろう。
そんな『ゴールデン・ガールズ』を見ていると自分の老後も考えてしまう。老後のライフプランはゲイコミュニティにとってなかなか切実な問題である。2009年のドキュメンタリー映画『Gen Silent』を見て、LGBTシニアが老人ホームでホモフォビアやトランスフォビアに直面しているという現実を突き付けられた。さらに、トロントでは新型コロナウイルスの集団感染が介護施設で立て続けに起こったことで、多くの入居者が命を落とし、そのリソース不足な現状や粗末な運営が浮き彫りとなってしまった。介護施設に関わらなかったところで、不動産と物価が毎年高騰しているトロントでサバイバルするのでさえ大きな課題となってくる。裕福な暮らしが出来たところで、居場所を失って孤立してしまうゲイシニアが多いのも事実だ。自分がもし60代、70代、80代となった時、いったいどうなっているのだろう。怖くて考えたくないのが本音である。
5年ほど前に知り合った年上の友達は、トロントのダウンタウンで10人ほど住めるような巨大な一軒家を購入した。彼は以前にLGBT向けの老人ホーム実現に励んでいたが、あまりに大きな壁を前にして挫折したと教えてくれた。その夢をあきらめきれずに、老後を共有できるゲイ友達と一緒にシェアハウスをしたいという理由で、今の家を買うことに決めたという。こんな素敵な家にゲイ友達と住んで、共に老いていくことができたら、まさに『ゴールデン・ガールズ』のようなファンタジーである。キャシーはまだ若いけど、ハウスメイトの募集が始まったらぜひ誘ってほしいなんて言ったら笑われてしまった。その友達は昨年急に亡くなってしまった。新型コロナウイルスのせいで葬式にさえ参加できなかった。彼が亡くなった数日後、その大きな家の前を通って、そんな叶わなかった夢を思い出した。人生は儚いものだ。
「パンデミックが収まったら、真剣に老後の話をしよう!」
最近、友達数人とそんな約束をした。自分が望む未来は待っていてもやってこない。怖くて前に進めないなら、自分から道を切り開くしかない。それは自分のカミングアウトから学んだ教訓である。さて、最初の老後プランニング会議ではどんな話をしよう。その日まで、『ゴールデン・ガールズ』でも見て予習をしておくわ。
ちなみに、『セックス・アンド・ザ・シティ』なら自分はサマンサだったのに、なぜ『ゴールデン・ガールズ』ではドロシーに共感してしまうのかしら。