キャシーの日々ハッテンは、トロントの日本語情報誌『Bits』(ビッツマガジン)で2011年から2017年まで連載されていたコラムです。
キャシーの日々ハッテン(コラム連載アーカイブ)
Day.108 家族たちのクリスマス
家族との距離感は複雑だ。ゲイストレートに関わらず、家族との関わりに悩む人は多い。血が繋がっているとか、家族だからという理由だけで、普段なら友達にもなりたくない人たちまで一緒になってしまう。良くも悪くも、家族ってそういうものだ。クリスマスの時期になると一気に家族ムードになって、普段は会わない遠い親戚まで一堂に会する。
「結婚はまだか?」「今の仕事、いくらもらってるんだ?」なんてパーソナルな質問がカジュアルに交換される。家族だからこそ許される距離感だが、居心地が悪いときもある。年に一回しか顔を合わせない親戚にそんなことを聞かれても困ってしまう。政治の話なんて持ち出せば、食事の席が熾烈なディベートと化す。家族だからって政治観が同じなんてことはない。ただでさえ微妙なこの家族の集まりは、ゲイというだけでまるで戦場のように感じられる。カミングアウトをしていなければ、容赦なくぶつけられる質問の直球を交わして生き残るしかない。「仕事が忙しいから恋愛できない」なんて言い訳だけではクリスマスは乗り越えられない。「まさかゲイなの?」という質問を笑って誤魔化して、心が少しずつ死んでいく。カミングアウトをしていたって、それはそれで微妙な存在として扱われる。噂としてゲイの親戚がいると聞いた人は特に、自分に対する接し方に困ってしまうようで逆にこっちの神経がすり減る。「ゲイですが何か?」と大きく書いてあるクリスマスセーターでも着れば、少しはマシになるのだろうかと真剣に考えてしまう。こんなにネガティブになってしまったが、別に家族が嫌いなわけではない。家族という存在があるのは頼もしいし、こうして帰れる場所があるのは有難い。子供の頃から時間を共有してるからこそ築ける不思議な関係も悪くはない。ただ、あまりにビタースイートなのだ。
クリスマスの度に実家に帰って大宴会に参加するゲイの友人は、楽しみで仕方がない一方で、不安もたっぷりだという。どちらの感情も本物だ。彼はクリスマスが終わる度に「後一秒でも長くいたらきっと頭が爆発していた」と文句を垂れながら「来年まで待ち遠しい」と目を輝かせて言う。きっと、家族ってそういうものなのだろう。