セックス・アンド・ザ・キャシーは、LGBTのためのコミュニティサイト『2CHOPO』(にちょぽ)に2014年から2017年まで連載されていたコラムです。

セックス・アンド・ザ・キャシー(コラム連載アーカイブ)
第32回、浮気心を許すということ
「恋人が目の前にいるのに、他の人を目で追いかけるなんて最低!」
そうやってプンスカ怒っている人に全く共感できず、喧嘩を売ってしまわないように無難に頷いた。あたしが他の人を目で追いかける度にうちの彼氏がいちいち怒っていたら身が持たないだろう。タイプの人がいたら見たくなる。それを否定されたら生きる希望を失ってしまう。そんなことで怒ることができるのは高校生の特権かと思っていたが、何歳になってもドラマクイーンを気取るのは楽しいようだ。
怒りたくなる理由もわかる。恋人や人生のパートナーという契約をその人と結んだのに、フワフワされたら頭に来る。そこには嫉妬心だったり、相手やその関係性への期待など、多くのものが絡んでいる。しかし、そこで相手を責めることだけが唯一の答えではない。そこで怒っている人だって、他の人を目で追いかけたくなったことくらいあるだろう。
束縛して当たり前な文化が根強い社会では、どうしても恋人ではない人を目で追いかけてしまう人が悪者になってしまう。浮気心を全く持たない人なんてほとんどいない。誰かと真剣に恋愛してたって、他の人が気になったり、好きになったりする。それはとても人間的だ。少なくともあたしはそう思っている。その浮気心を無理に押さえ込もうとすればするほど、浮気したいという衝動に駆られてしまう。タブーの心理学だ。
浮気された時に怒りや悲しみを感じるのは、嘘をつかれたことや裏切られたことが理由だったりする。では、他の人を目で追いかける行為や他の人とセックスをする行為からそういった嘘や裏切りを切り離してみたらどうなるだろうか。別の言い方をすれば、もし相手があなたとの同意の上で他の人を目で追いかけたり、他の人とセックスしたりしたら、そこにはどんな感情が残るのか想像してみてほしい。
一対一の恋愛関係が絶対で正しいという考えは私たちの心の奥深くに植え付けられている。その考えの是非をここで論じるつもりはない。一方で、恋愛や感情には形がない。それに絶対こうであるべきだとか、正しいとか間違いとか、そういった形のある概念はなかなか当てはまらない。人が何かを感じれば、それはその人のものだ。他の人にどうこう言われる筋合いはない。
それを言ってしまうと浮気を正当化したいのかと思われるかもしれないが、そうではない。相手に嘘をついたり、裏切るという行為を賛称するつもりは全くない。嘘をつかれたり、裏切られて怒りや悲しみを感じることを否定するつもりもない。そうした気持ちは人にとって欠かせない一部だ。それと同じように、人間が誰かに魅かれる気持ちを否定する必要もない。
恋人が他人に魅かれて許せないと感じるのは自分の嫉妬心だ。その嫉妬心を正義の盾にして、相手の浮気心を絶対悪とする行為には同意できない。それをしたくなる気持ちは痛いほどわかるが、それをいくら続けたって問題解決にはならない。もしも本当にお互いの関係が大事だというのなら、自分の嫉妬心を認めて、恋人にそれを伝えよう。そこからどうやって問題解決へ進めるか、じっくり試行錯誤すればいい。
あくまで個人の好みだが、恋人と一緒にイケメンチェックできるのはとても楽しい。「きゃー!あの人めっちゃ男前!」「あんたには釣り合わないよ。」なんて意地悪なやりとりで心が温まるのは、自分がひねくれているからなのだろうか。