挿入してイクことだけがセックスじゃない

セックス・アンド・ザ・キャシーは​、LGBTのためのコミュニティサイト『2CHOPO』(にちょぽ)に2014年から2017年まで連載されていたコラムです。

セックス・アンド・ザ・キャシー(コラム連載アーカイブ)
第14回、挿入してイクことだけがセックスじゃない

「今年入ってまだセックスしてない」と隣でうるさく嘆く友人に、「先週クラブで出会った人の家に泊まって朝帰りしてたじゃない」と冷たくツッコミを入れると、聞き慣れたセリフが返ってきた。

「フェラチオ止まりだったから、セックスじゃないよ!」

彼が言いたい意味はわかる。オーラルセックスで終わってしまって、挿入をしなかったから、セックスには値しないということなのだろう。そう思う人は珍しくない。むしろ、多数派なのかもしれない。中には挿入をしてオーガズムに達することこそが本物のセックスと考えて、その他は中途半端だとキッパリ分けている人もいる。オーラルセックスが大好きな自分にとって、フェラチオを中途半端呼ばわりされるのには少し腹が立つが、価値観はそれぞれ違ってあたりまえだ。

その価値観を押し付けたり、押し付けられると厄介なことになる。いつかハッテン場で出会った人は挿入をしてなおかつお互いがイカないとセックスした気がしないと頑固だった。既に射精してとっくに冷めているのに、ムキになってこっちをイカそうとする姿はとてもセクシーとは言えなかったが、「もういいよ」とは言い難かった。上手に断る方法を探しながら、どうしてここまで挿入とオーガズムにこだわる人が多いのだろうかとふと疑問に思った。

「性交は子供を作る神聖な儀式で、決して快楽のためのものじゃない!」と主張する人はさすがに減ったが、未だに挿入とオーガズムを重視する姿勢は男女間の子作りセックスからあまり変わっていない。キスやオーラルセックスが前戯で、挿入が本番で、フィニッシュでイクという流れは正直なところ、使い古されすぎてマンネリである。そんなセックスじゃ多様な人間の姿や形を反映できるわけがないし、数え切れないほどある性癖や性感帯は満足しない。

「タチとタチ、ネコとネコの組み合わせのゲイカップルってどうするんだろう?」こんな何気ない話題を耳にしたことがある人は少なくないだろう。どっちかが頑張ってタチかネコになるべきとか、双頭ディルドで一石二鳥ならぬ一石二ゲイとか、勝手な議論が繰り広げられているところを耳にすると、ついつい口を出してしまう。「タチとかネコとか忘れて、人間と人間として絡み合えばいいじゃん!」そして、決まってこう言い返されてしまう。

「それって綺麗事じゃない?」

アナルセックスは気持ちいし、前立腺を刺激されることで得られる快感は並大抵ではない。しかし、通るべきコースや決められたゴールがあることで、セックスの解釈を偏ってしまうのが問題なのだ。寄り道や回り道は好きなだけするべきだし、ゴールなんて無視して行きたいところに行けばいい。前戯とか本番とか、そんな風に境界線を引く意味なんかない。セックスは挿入でしかないと考えている人がいれば、快感や刺激を得る可能性は無限大だと気付いてほしい。

舌と舌が絡み合うキス。相手をぎゅっと抱きしめた感触。電話でのいやらしいやりとり。お尻を豪快にスパンキングされる衝撃。過激なSMプレイで縛られて自由を奪われた感覚。これらが挿入とオーガズムに比べて中途半端かどうかなんて、他人に決められる筋合いはない。自分がそれをセックスだと思えば、それは立派なセックスだ。そこに本物も偽物もない。どうあるべきとか、そんなこと気にしなくたっていい。もっと自由に楽しもう。

「手と手を握るのも、場合によってはセックスだよね!」

いつか、友人にそんなことをボソッと言ったらそれ以来手を握ってくれなくなったが、これはまた別の機会に話そう。

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