キャシーの日々ハッテンは、トロントの日本語情報誌『Bits』(ビッツマガジン)で2011年から2017年まで連載されていたコラムです。
キャシーの日々ハッテン(コラム連載アーカイブ)
Day.86 ゲイと宗教の微妙な関係
バイセクシュアルの友達は年末年始に実家へ帰って、付き合っていた彼女を家族に紹介した。両親や兄弟にカミングアウトしていなかった彼は、異性の恋人なら面倒な話にはならないだろうと高をくくっていたが、夕食の席でその恋人がキリスト教徒ではないと知った彼の家族は激怒。その場で交際を反対されてしまった。「同性の恋人を連れ帰っても、もし熱心なクリスチャンなら逆に喜ばれるかもしれない。」そんなジョークを飛ばしていた彼だったが、意外と現実味のある話でもある。イスラム教徒の家庭で育ったレズビアン友達は、女性同士の交際なら家族には何も言われないが、豚肉を食べることは未だに許されないという。いったいどういう判断基準でタブーのラインは引かれるのだろうか。
住んでいる場所や文化にもよるが、ここ数十年で同性愛の社会的立場は大きく変わった。バチカンのローマカトリック法王だって同性愛に理解のある発言を公の場で幾度もしている。同性婚が認めれて10年以上も経つトロントでは、アンチゲイの肩身が毎年狭くなってきている。厳しいカトリック高校にレインボーを精一杯に掲げるゲイストレートアライアンスのサークルがあったりと、変化は毎日起きている。自らが信じる宗教に拒まれた人の中には、それでもそこに属したいという人がいる。毎年ラマダンの時期にはゲイやレズビアン、トランスジェンダーのムスリムが集まって日没後の食事を楽しむ大宴会があるほどだ。そうやって宗教と性をジャグリングしている人は珍しくない。
宗教も同性愛も人類の歴史を遡ればずっと昔から存在するものだ。歴史が長い分だけ、確執も深い。なぜそこまでして両立を目指すのかと聞けば、多くの人はこう答えてくれた。「どっちかが欠けては、アイデンティティーが成り立たないからだ。」