セックス・アンド・ザ・キャシーは、LGBTのためのコミュニティサイト『2CHOPO』(にちょぽ)に2014年から2017年まで連載されていたコラムです。

セックス・アンド・ザ・キャシー(コラム連載アーカイブ)
第8回、あなたの中身、セックスから滲み出てない?
ルックスはめちゃくちゃタイプなのに、中身は絶対に受け入れられないという経験を持つ人は少なくないはずだ。ルックスが良ければいいほど、それに反比例して性格が悪くなるというセオリーを主張する友人はよくこう言う。「ルックスが良くて性格もいい人はダイヤモンドの原石みたいなもので、自分を磨いてキレイと知れば自然と自惚れて性格が悪くなる。自分がキレイなのを知った上で性格のいい人は希少動物で、絶滅寸前。」悲しいのは、そんな夢も希望もない意見に反論する言葉がなかなか見つからないことだ。その友人曰く、性格が歪んだ美男とは「肉体的な関係」だけを楽しめばいいという。
性格の良し悪しという議論は置いといて、ただ単にセックスするだけなら人間の中身は本当に関係ないのだろうか。いつか遠い昔の話、ネットで知り合った男性と「肉体的な関係」を楽しんでいたら、最中に信じられない言葉が彼の口から飛び出した。「最近黒人ばかりからお誘いが来るんだけど、キモいよね。」ベッドで横になりながら、聞き間違いではないかと数分考え込んでしまった。自分は黒人ではないが、そんな失礼なことを言う人と交わっているということがとても気持ち悪かった。しかし、拒否するタイミングを逃し続けて、結局最後までしてしまった。後日、向こうからおかわりのリクエストが来たが、迷わずに無視した。あの時の嫌な後味は今でもハッキリ覚えている。セックスが「肉体的な関係」なら、外見だけにフォーカスして、中身はどうあれスルーするべきなのだろうか。
ルックスが良くたって、巨根でガチガチでも、理想の体型でも、それでセックスが成り立つわけではない。いくら体と体が激しくぶつかったところで、その根本にあるのはコミュニケーション。言葉を交わさないセックスもあるかもしれないが、ボディランゲージは時に言葉以上にものを言う。つまり、「肉体的な関係」という言葉は本来のセックスの意味をうまく説明しきれていないのだ。これほど親密なコミュニケーションなんてなかなかないのだから、人間の性格や考え方が関係無いどころか、大いに影響してくる。あなたの中身は、気づかないうちにセックスからじゅるじゅる、どろどろ、ひたひたと滲み出て、垂れ流しになっているのかもしれない。
セックスの最中の些細な言動でその人の思いやりや気遣いが伝わって来ることがる。何かをする前に必ず相手の許可を取ったり、相手がしたくないことをしつこく強要しないなど、とても大事なのに見過ごされがちだ。少しやり過ぎと笑われるかもしれないが、寒くないかとか、お腹空いてないかなど気にかけてくれた人もいて、セックスの後なんだか心がポカポカした。その逆もしかり。相手が持ち出さないからとコンドームを使わずにことを進めようとしたり、自分だけ気持ちよくなってこっちのことはおかまいなしだったこともあった。もちろん、そんなセックスが気持ち良いわけはない。「人間、どんな時も相手への思いやりを忘れちゃダメ」と言われて育ったが、本当に「どんな時も」思いやりは忘れちゃダメね。
インスタントにセックスが見つかる時代の弊害なのか、ネットの出会い系では思いやりのない人をよく見かけるようになった。特定の人種や特定の体型の人を貶す投稿なんて見た日には悲しくなる。「他の人がこれを読んだらどう感じるんだろうか。」それを書く人達はそんな自問をする暇もなく送信のボタンを押してしまっているんだろう。そういう人を見かける度に、いくらイケメンだって、相手の気持ちを考えない人とはセックスをする価値はないと自分に言い聞かせている。「元から相手してもらえない」といじわるなことを言われそうだが、そういう問題ではない。自尊心を無くしてまで得るセックスに、良いセックスなんてないのは痛いくらい知っているからだ。
今度、「セックスだけだから中身は関係ない!」と言う人に出会ったら、胸を張って「セックスをするからこそ、中身が大事!」と言ってあげたい。じゅるっじゅる、どろっどろ、ひたっひたと滲み出すんだからね。