どうしてゲイだってわざわざ公表するの?

キャシーの日々ハッテンは​、トロントの日本語情報誌『Bits』(ビッツマガジン)で2011年から2017年まで連載されていたコラムです。

キャシーの日々ハッテン(コラム連載アーカイブ)
Day.121 どうしてゲイだってわざわざ公表するの?

「どうしてゲイだってわざわざ公表するの?」といつか母に言われて、どう説明すればいいのかわからなかった。友達や家族に自分がゲイであると話す必要はあるのか。仕事先で自分が同性に魅かれると話す必要はあるのか。ネット上で顔出しでゲイだと公表する必要はあるのか。母は自分の行動をあまり理解できないようだった。カミングアウトをすることで差別を受けやすい立場になると心配したのかもしれない。あの時はその質問に対する答えが見つからなかったが、それでも心のどこかでゲイだと公表をしなきゃいけないとわかっていた。

ゲイであると言わないという選択肢がある。それを選ぶことで透明人間になれる。周りの人は平気で偏見を口にするようになる。自分がゲイだと既に知っている人でさえ、その事実を忘れたかのように振る舞うようになる。どこに行っても自分がストレートだという前提で話が進む。親戚との食事の席で「一生懸命育てた息子がゲイだったらどうする?」という議論が始まっても黙って聞くしかない。何かゲイにまつわる事件が起きれば、メディアは都合のいいようにセンセーショナルにゲイという部分に焦点を当てて書き立てるか、ゲイだということで無視をする。そんな環境の中で生きていると、誰もゲイを人間として扱っていないことに気付いて自分自身へのリスペクトを失う。そんな社会でゲイであると公表するのは、ただ単に同性に魅かれると周りに言いたい以上の意味がある。ゲイである自分がここで生きていて、一人の人間として扱われる権利があると主張しているのだ。差別や偏見のない世界ならそんなことをしないでもいい。残念ながら、現実は差別と偏見で溢れている。だからこそ、人間のように生きたいがために毎日ゲイとカミングアウトして、自分自身の経験や考えを他の人と共有している。自分より上の世代がそうしてきたおかげで、ゲイが暮らしやすい社会がどんどん増えてきた。その変化に少しだけでも役立てれば嬉しい。そうやって主張を続ける人がいなくなれば、この世界はあっという間に元に戻ってしまう。もちろん、これはあくまで自分一人の決心で、他の人も同じであるべきというわけではない。

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