キャシーの日々ハッテンは、トロントの日本語情報誌『Bits』(ビッツマガジン)で2011年から2017年まで連載されていたコラムです。
キャシーの日々ハッテン(コラム連載アーカイブ)
Day.114 ゲイに間違えられて殴られる社会
トロントのダウンタウンでストレート男性がゲイに間違えられて暴行されるという事件が起きた。被害者が友達の友達で、さらに事件現場がよく通る道だったこともあって、決して他人事ではなかった。黒く腫れ上がった目をした彼の写真を見て、心を痛めると共に自分も怖くなった。この写真に写っているのが彼ではなくて、自分だったかもしれないという現実もそう遠くないと知っているからだ。
興味深いことに、加害者の二人組はゲイカップルだと思われたことに怒って、犯行に及んだようだ。なんとも皮肉である。彼らはゲイに間違えられたことでストレート男性としてのプライドに傷が付いて、むしゃくしゃして周りにあるものに当り散らしていた。そこにたまたま通りかかった無関係の被害者は「おまえゲイなんだろ」と彼らに喧嘩をふっかけられて暴行された。トロントという街でもゲイを標的にした暴力が存在するという事実は悲しい。被害者はゲイではなかったが、これは立派なヘイトクライムだと考えていいだろう。ゲイではない人がゲイ差別の被害者になるケースは実は珍しくはない。「オカマ」と呼ばれていじめられている人も、ゲイ疑惑に悩んでいる人も、必ずしもゲイとは限らない。差別は当事者だけではなく、そうではない人にも大きな影響を与える。ホモフォビアだけではなく、人種差別や性差別、その他の差別や偏見にもそれが当てはまる。学校でLGBTのことについて学ぶことに抗議している人は、自分の子供がゲイに間違えられて暴行されても同じことを言えるのだろうか。数発殴られたくらいなら傷はいずれ癒えるかもしれないが、ヘイトクライムで命を亡くしている人がいることも忘れてはいけない。ゲイに間違えられた方が悪いだなんて理不尽なことを言われてしまうのだろうか。「自己責任」という便利な言葉で社会の問題は片付けられない。
ゲイ差別がない社会では、ゲイと思われたからと怒る理由もないし、ゲイに間違えられて暴行されることもない。そんな社会はゲイだけではなく、そうではない人にとっても暮らしやすいはずだ。それはゲイ差別だけではなく、他の問題でも同じだ。この社会で生きている限り、差別や偏見は他人事ではない。