セックスとは汚いものだ

セックス・アンド・ザ・キャシーは​、LGBTのためのコミュニティサイト『2CHOPO』(にちょぽ)に2014年から2017年まで連載されていたコラムです。

セックス・アンド・ザ・キャシー(コラム連載アーカイブ)
第27回、セックスとは汚いものだ

セックスは汚いものだと、物心がつく頃からずっと教わってきた。「男が男と寝れば、エイズになって死ぬ」と両親に言われて怖かった。若い男女がセックスすれば真っ先に殺人鬼に殺されるのは、ホラー映画の定番である。性教育の授業では友達がみんな「気持ち悪い!」と騒いでいたから、自分も一緒になって騒いだ。セックスとは何かも知らないうちから、それは汚いというイメージがついた。しかし、セックスが実際に「汚い」ということは、誰も教えてくれなかった。

セックスをする年頃になって、周りでは急にセックスが美化されていた。性教育の授業で「気持ち悪い!」と騒いでいた男の子たちは、マンコがいかに気持ちいいかを語ることに夢中になった。ラブコメのエンディングでカップルが結ばれて、セックスはトラブルの元ではなくて、愛の象徴だった。セックスは特別で美しくて気持ちいいというイメージがセックスは汚いというイメージに上塗りされて、とても歪なものとなった。それでも、セックスが実際に「汚い」と誰も忠告してくれなかった。

ここでいう「汚い」とは、モラルや倫理的な意味ではなく、物理的に汚いという意味だ。実際にセックスをするまで、そんなこと考えてもいなかった。人間と人間が近づけば、普段は気がつかないものが鼻先に来る。いつか、シックスナインに励んでいたら、相手のアナルが隣に現れた。アナルにこんなに近づいたことなんてなくて、そこからウンコ臭が漂っているなんて想像もしていなかった。いや、ウンコする穴なんだから当たり前なのだが、セックスというベールに包まれてそんな常識は見失っていた。

アナルから漂うウンコ臭ははじまりに過ぎない。体臭だったり、様々な感触だったり、溢れる体液だったり、セックスはぬるぬるべとべとして汚いのだ。セックスをしていれば、性感染症をもらうこともある。毛じらみをもらうことだってある。これらはすべて事実であって、それがセックスでもある。ただ、そんな事実は若い自分には重すぎて、とても受け入れることはできなかった。

セックスの度に、自分のカラダが気になった。必要以上に洗って、必要以上にキレイになった。潔癖のせいで、浣腸しすぎて痔になったことまである。朝起きた時の口臭が気になって、相手が目覚める前にこっそり歯磨きをしてから、またベッドに戻って寝るふりをした。セックスの最中に些細な臭いや汚れが気になって、全然楽しめなかった。人間として当然の汚さが耐えられなかったのだ。それをベテランゲイの友人に相談すると、こんな賢明な答えをもらった。

「あんた、セックスに何を期待してるのよ!チンコとかマンコとかアナルとか使ってズッコンバッコンしていれば、汚れるに決まってるじゃない。子供の頃に泥遊びで夢中になったのを思い出してごらん。遊んでいるうちはいくら汚れたって気にしなかったでしょ。その勢いでセックスも楽しめばいいのよ。」

それを聞けて、とても気持ちが楽になった。

セックスを楽しみたいなら、ちょっとくらい汚くなれる勇気が必要だ。社会のセックスに対するイメージに筋が通ってなくて、ただただ混乱させられる中で、その勇気をひねり出すのは大変かもしれない。その分、セックスと面と向き合って、そのままの姿として受け入れたときに得られるものも大きい。

もちろん、お風呂に入るなという意味ではない。セックスの際に清潔であることはお互いに対する礼儀だ。たまに、あえて汚いセックスをしようとリクエストされることもあるかもしれない。もし興味があるのなら、泥遊びで夢中になった自分を思い出して飛び込めばいい。

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