学ぶ機会を与えることの大切さ

キャシーの日々ハッテンは​、トロントの日本語情報誌『Bits』(ビッツマガジン)で2011年から2017年まで連載されていたコラムです。

キャシーの日々ハッテン(コラム連載アーカイブ)
Day.116 学ぶ機会を与えることの大切さ

「同性愛って心の病なの?」と聞かれて返す言葉がなかった。自分の前に立っている人がゲイだとも知らず、その人は悪気もなく興味津々に答えを期待していた。好奇心旺盛な子供のようだ。普段ならそんな失礼な質問に怒り爆発しているところだが、あまりに正直な相手を見ていると不思議と怒れない。さて、どうしよう。

「20代の頃、相手が少しでも間違ったことを言えば、真っ先に飛びかかって怒りを露わにした。今はもっと思いやりを持てるようになった。」ベテランの市民権運動家がいつか話してくれた。社会問題に取り組んでいると、自分が正義の味方で、そうではない相手は悪だとつい白黒きっぱり物事を見るようになってしまう。しかし、自分自身を振り返れば、数年前まで同じような間違いを犯していた。現在進行形で、毎日間違ったことを口にしているだろう。自分で気付いて正せるものもあれば、相手の助けを借りないと気付かないことだってある。知識や経験が増えれば意見が変わることもある。昨日まで信じていたことを今日になって間違いだと気付くことだってあるかもしれない。みんなそれぞれの道を歩みながら自分自身のペースで学んでいるから、間違いを犯した相手を怒る行為は問題解決に繋がらないことの方が多い。子供の頃、成績が悪いことを叱られてばかりいた。怒れば次は頑張るかもしれないと両親は考えていたのだろうが、真逆だった。それが圧力となって、勉強が嫌いになって、親から悪い成績を隠すことばかり上手になった。それでは誰も得をしない。失礼なことを言われて、怒りを覚えるのは当たり前だ。ただ、その怒りの向こうにあるものにも注意を払ってみよう。自分にとって何が本当に大事なんだろう。相手に怒りをぶつけることか、相手に学ぶ機会を与えることか、それとも、そこから今すぐ立ち去って美味しいものでも食べることかもしれない。

「同性愛が精神疾患ではないという見解が一般化して、もう長い間経ってますよ。」冷静に失礼な質問に答えたところ、相手はあっさり納得してくれた。もうこれから同じことを他の人に聞かないようにと祈りながら、怒りが少し収まった。毎回こんな対応はできないかもしれないが、余裕のある日は相手が学ぶ機会を優先したい。

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