セックス・アンド・ザ・キャシーは、LGBTのためのコミュニティサイト『2CHOPO』(にちょぽ)に2014年から2017年まで連載されていたコラムです。

セックス・アンド・ザ・キャシー(コラム連載アーカイブ)
第12回、セックスや恋愛は本当に欠かせないものなのだろうか?
三十路間近になって、若い頃にもっとセックスをしておけばよかったとジョークを言うようになった。20代前半にトロントへ留学に来た自分は、新たな街で新しいライフを築くことに必死だった。昼間はカレッジで講義を受けて、夜は山ほどある宿題に追われていた。片思いくらいならしたかもしれないが、寝る直前まで教科書と睨み合っていては恋愛やセックスに使う気力など残らなかった。周りからすれば、売れるピークである20代前半のゲイの男の子がセックスをしていないことが不思議で仕方がなかったらしい。
「そんなにモテないの?」
「性格に問題でもあるの?」
「まさか、性感染症の治療中?」
失礼な質問をたくさん浴びせられても、自分の答えはとてもシンプルだった。
「今はセックスより優先したいことがたくさんあるし、性欲は右手で十分解消してるから。」
別にセックスが嫌いだったというわけではない。タイプの男性を見れば目で追いかけたし、講義中は頭の中でいやらしい妄想を繰り広げた。実際にセックスを探す暇がなかったのだ。イベントに行って目当ての人をデートに誘ったり、ネットでセフレを延々と探す作業は意外と時間がかかる。タイプの人が目の前に現れて「やらないか?」と誘ってきたらもちろん二つ返事で飛び乗ったが、人生そんなに甘くはない。自分からしたら、セックスレスでもまったく問題はなかった。ただ、周りからそれを疑問視される度に少しイライラした。セックスはいつからしなきゃいけないものになったんだろう。
彼氏と一緒に映画を見ていると、こんなシーンをよく見る。「もう三週間もヤってないの!私たちの愛は燃え尽きたのかな?」ポップコーンぽりぽり食べながらそれを見てる私たちはもう三ヶ月ヤってない。冷や汗が滴る瞬間だ。それまで全然問題視してなかったのに、急に不安になる。圧力を感じて、「今週末はやっておくべきかな?」とか頭の中で計画までしてしまう。そこで一度冷静に戻って、自分たちを振り返る。愛は燃え尽きていないし、別に深刻な問題があるわけでもない。ただ単にセックスをしなかった。それだけのこと。むしろ、恋愛やセックスをすることを前提としている方がおかしいのだ。
例えば、他人に恋愛感情や性的欲求を抱かない無性愛者(アセクシュアル)の人はそれを見たらどう感じるのだろう。自分でさえこんなに窮屈な思いをしていると考えると、恋愛やセックスをしない彼らは毎日どれだけ傷ついてるのか想像に難くない。「アセクシュアルというアイデンティティがあって、他にも同じように感じている人がいることを知るまで、私に何か問題があるんじゃないかってずっと自分を責めていた。」そう語るアセクシュアルの友人は、できるだけテレビ番組や映画、音楽から自分を遠ざけるようにしている。そうでもしないと平常心を保てないらしい。
恋愛やセックスは決して悪いものではない。セックスポジティブな立場を取るこのコラムでは、常にセックスを楽しくて、気持ちよくて、セクシーでヘルシーな行為として書いている。しかし、あくまでもセックスはただのセックス。しなくたって何も問題は無い。それは個人の自由だ。誰もがいつか運命の人と出会って、恋に落ちて、幸せな家族を築くとか信じている人がいるなら、それはただのおとぎ話であって現実ではないということに早く気付いてほしい。そのナイーブな考えは知らないうちに、「恋愛やセックスは誰もが経験するべき人生に必要不可欠だ」というプレッシャーに変わり、他人の背中に重くのしかかる。
幸せな恋愛に必ずしもセックスが必要ではない。最高に気持ちが良いセックスに愛情がなくても不自然ではない。恋愛やセックスをしなくたって、充実した人生を送れないわけではない。人間はおとぎ話より遥かに豊かで、自由で、多彩だ。そこに圧力は必要ない。