キャシーのトロント不思議ハッテンは、ゲイ総合情報誌『Badi』で2012年から2016年まで連載されていたコラムです。
キャシーのトロント不思議ハッテン(コラム連載アーカイブ)
第27回、神様はゲイを愛しているのか
いつも様々な宗教が忙しく宣教しているトロントの中心街を通り過ぎると、見慣れない虹色の集団が「神様はゲイを愛している」と声高に主張していた。「私はゲイにして、クリスチャンだ」と誇らしげに主張する男性のすぐ側で、「こいつらの話を聞くな!これは全部戯言だ!」と白髪のお爺ちゃんが必死に妨害していた。なんとも多文化共生都市らしい光景である。
一部のキリスト教やイスラム教が同性愛を罪だと考えることは周知の事実だ。トロントではゲイフレンドリーな教会も増えたが、カトリック教会の間では未だに否定的な声が大きい。ゲイタウンにクリスチャンの青少年たちを連れてきて、「ここがゲイの住処で、ゲイになればエイズにかかるよ」とデタラメを吹き込んで、同性愛者が生き方を改めるようにお祈りをして去っていく集団もたまにいる。思春期の頃に親にこうした活動に参加させられたゲイがトラウマを抱えてしまうケースもある。自分のことをゲイだと受け入れる過程で、自分が隠れていたクローゼットと一緒に信じていた宗教も過去に置き去りにする人が多い一方で、そんな矛盾を乗り越えてゲイクリスチャンやゲイムスリムとして生きる道を選ぶ人もいる。「欠かせない存在である宗教を捨てることは自分を失うのと同じ、だからどっちかなんて選べない。クリスチャンであることも、ゲイであることも、どっちも大事な自分の一部。」と友人は語っていた。無条件に他人を愛することを人類に教えた神様なら、セクシュアリティはもちろん、宗教、肌の色、性別、生き方をも乗り越えて人類を無条件で愛しているに違いないと彼は信じている。何を隠そう、あのイエス・キリストでさえ同性愛者だったという説まである。極端な例だが、神様と恋愛関係にあって情熱的なお祈りを毎晩捧げている神専のゲイも存在する。こんなことを言ったら天罰が下るかもしれないが、神様も罪深いわ。