「みんなちがって みんないい」で話を終わらせてはいけない

ケンダル・ジェンナーが出演するペプシの最新CMが大炎上し、放送中止となった。どんなCMかといえば、写真撮影で忙しいケンダル・ジェンナーが繁華街を賑わすデモ行進にインスパイアされて、仕事を放棄してデモ行進に参加し、デモ行進を睨みつける警察にペプシブランドのコーラを手渡して、それを飲んだ警察官が笑顔になって一気にみんなパーティムードで大騒ぎ。そんな一見ポジティブなCMはどうしてこんなに批判されているのだろうか。

このCMはきっと政治的に敏感な今時の若者をターゲットしようとしたのだろう。今の北米で問題になっている警察による黒人コミュニティへの暴力行為やイスラム系移民に対する入国拒否などの深刻な課題と、それに対して立ち上がる数々のデモ行進を反映させようとしたものの、あまりに的外れな内容になってしまった。CMの制作を担当した人たちの知識やリサーチが足りなかったのか、このCMに登場するデモ行進は現実離れしててストリートパーティにしか見えない。その上に、逮捕されたり命を落としかねないデモ行進を炭酸飲料を売るために美化するのも不快である。そんなツッコミどころ満載なCMだが、この記事ではそのCMが掲げるメッセージに注目したい。

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「多様な私たちだって(ペプシのコーラが好きという)共通点があって、それを通して繋がれば人間として共に違いを乗り越えられる!」

ペプシが意図したメッセージはきっとこんなところだろう。このメッセージだけに関して言えば特に問題はないかのように見える。ダイバーシティや多文化共生を想像した時に、肌の色や服装が違う人たちが手を繋いで仲良くしている絵をイメージする人は多い。教科書やメディアでもそんな素敵な描写がよく使われる。しかし、残念ながらこの世界はそんなにシンプルではない。こんな人生バラ色のCMが流れている側で、黒人が警察から射殺されて、イスラム教徒が入国拒否で家族から引き離されて、トランスジェンダーの高校生がいじめられて自殺している。現実のデモ行進に参加している黒人が警察にアプローチしてペプシのコーラを手渡せば、何が起こるのかは言うまでもない。社会背景を無視して安易にこんなCMを流せば、実際の問題解決の邪魔にもなりかねない。綺麗事とはまさにこんなCMを指す言葉である。

こうやって表面的なダイバーシティを促進しても、この社会が抱える人種問題やその他の差別の解決に結びつくとは限らない。本当に厄介な差別や偏見は、社会を動かす歯車の中に組み込まれていて見えにくい。だから、差別自体に気付かない人がたくさんいる。差別的な言葉が使われなくなったり、肌の色で使えるトイレが決められてなかったり、同性婚が認められたりしたところで、それで差別がなくなったわけではない。人種差別や性差別は根強く現代社会に生きる人たちを影響している。グーグルは2014年に社員のデータを公表し、多様性が欠如している白人男性中心の現状を改善すると宣言した。2014年以前からもダイバーシティ戦略を促進していたグーグルでさえ、女性や有色人種の地位向上に苦戦しているのだ。

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綺麗事ばかり並べて何か成し遂げられたと気持ちよくなるだけなら誰だってできる。それで社会が変わるならもうとっくに変わっているだろう。ダイバーシティは綺麗事ではなくて、汚れ仕事である。社会問題に目を向けて、自分がそれに加担していると自覚して、反差別の姿勢を取るのは気持ちのいいプロセスではない。だから、ネガティブな感情を避けるために目を背ける人も多い。問題解決に取り組むよりも、「人間はみんな平等」とか「みんなちがって みんないい」という気持ちのいい言葉の方が魅力的なのだろう。しかし、実際に差別に直面している人たちにとって、そんな言葉は傷口に塩を塗るように聞こえてしまう。

いつか、「みんなちがって みんないい」という言葉が似合う世界が訪れるだろう。ただ、それまではこの言葉で止まってはいけない。この言葉で実際に苦しんでいる人たちの存在を片付けてはいけない。

「みんなちがって みんないい」で話を終わらせてはいけない” への2件のフィードバック

  1. キャシーさんの、ダイバーシティ&フェアネスは文章、いつも読ませてもらっていて、わたしたちの活動報告blogで引用させてもらったりもしています。ありがとうございます。今回の「汚れ仕事としてのダイバーシティ」という発想は、とくに刺さってきました。もちろん引用させていただきました。よかったら、わたしたちの活動と合わせて、目を通していただければと思います。これからもよろしくお願いします。

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