ゲイフレンドリーはあたりまえのこと。

先日、友達が行った旅行の写真を見ていて。

一緒に映っていた男の子が可愛かったので、聞いたのね。

「あら、どこでこんなイケメンくん捕まえたの?」

「たまたま知り合ったんだよ。」

もちろん、イケメンがいればこの質問を投げるあたし。

「彼、ゲイ?」

「ノンケだよ。でもゲイフレンドリーだよ。」

こんないつものやり取りに、少し違和感を感じたあたし。

「なんでゲイフレンドリーって強調したの?」

と、自然とわき上がった疑問を友達にぶつけてみた。

ゲイフレンドリー。

訳せば、ゲイに対して優しく、仲良く接してくれるという意味になる。

もちろん、ゲイやゲイ向けではない人や施設を指す言葉だ。

そういう人のことはアライとも呼ばれていて。

ゲイではないけど、同性婚支持をするオバマ大統領なんかは立派なアライである。

ただ、個人的にこの言葉は決して良いニュアンスを含んでないと思うのね。

「新入りのあのノンケの男の子、ゲイフレンドリー?」

「新しく開店したあのカフェ、ゲイフレンドリー?」

それって、大多数の人や施設はゲイを受け入れてないのが当然のように聞こえない?

キャシーが深読みしすぎているのかもしれないけど、そう使われる度に感じる。

今のトロントにおいて、未だに「ゲイフレンドリー」を使うのはおかしい。

だって、人権法にハッキリと同性愛者を差別するべきではないと書かれているんだから。

社会のみんながゲイフレンドリーであたりまえなわけ。

わざわざ、「ゲイフレンドリーで凄いわね」とか褒める必要ある?

もちろん、現実はそう甘くないし、まだまだゲイ嫌いな人はいっぱいいる。

現トロント市長であるロブちゃんとか超ホモフォブよ。

だからって、もうゲイの方からわざわざ気を遣って。

「あの人はゲイフレンドリーかしら?」

とか考慮して、社会を甘やかしている場合じゃないと思うの。

ゲイフレンドリーなアライってだけで、素晴らしい人間だと誇らしげに思われるのも少し虫酸が走るわ。

何度も言うけど、それができて当たり前な時代なのよ。

「あの人は黒人フレンドリーかしら?」

「あの人は日本人フレンドリーかしら?」

そんな話は聞かないのに、ゲイだけ気を遣うのは筋が通らない。

だから、あたしはその友達の前でこう宣言したの。

「みんながゲイフレンドリーなのは当然の時代なんだから、金輪際、ゲイフレンドリーって言葉はもう使わないことにする!」

逆に、ゲイフレンドリーじゃない人はどんどんホモフォブ扱いでいい。

ゲイを殴ったり、ゲイに向かって暴言を吐くようなホモフォブは減ったけど。

今は50年前とは教育も違うんだから、ホモフォブのハードルも下がっていいと思う。

その分、ゲイフレンドリーのハードルももっと上がるべきよ。

もしあたしが次に「ゲイフレンドリー」だと誰かを説明するとしたら。

「この前、ノンケのイケメンくんと知り合って、とてもオープンな子で朝までベッドで抱き合いながら将来の夢を語ったわ。本当にゲイフレンドリーよね?」

これくらいフレンドリーじゃなきゃもう納得がいかないわ。

ゲイフレンドリーはあたりまえのこと。” への2件のフィードバック

  1. いろいろ検索したら、ブログ見つけて読ませていただきました。
    面白かったです。興味深いというか・・・。
    わかりやすい、読みやすい、伝わりやすい文章でした。
    また読ませていただきます。

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