あたしの職場がチャイナタウンになって。
ゲイタウンがただ出勤時に通るだけの存在となった。
「私はもうゲイタウンには行かないし、通りもしない。」
いつかキャシーが参加したカンファレンスで、こんなことを言った人がいた。
もちろん、カミングアウトしてないからゲイタウンに行かたい人もいる。
自分がゲイだということをなかなか認められず、この通りを歩きたくない人もいる。
同族嫌悪を抱いていて、ゲイと同じ見られたくないからここに来ない人もいる。
ただ、彼の理由は少し違ってたみたい。
「私はカミングアウトしてから、ゲイがやりそうなステレオタイプなことを一通りした。」
という彼は、ハッテン場で見ず知らずの人と一夜の関係もたくさん持ち。
クラブでハイになって、そのまま知らない男の横で目覚めたりもして。
ジムで体を鍛えて、良い服を着て、もっとセックスを求めたそう。
すべてのゲイがセックスが大好きというわけではないが。
セックス産業のあたしたちのコミュニティの中心にあるのは否定できない。
思春期に他のゲイを探していたあたしが最初に行き着いたのも、セックスだった。
それだけ、セックスを中心に物事が回転しているってことだ。
もちろん、トロントのゲイタウンも例外ではない。
ハッキリここで言うけど、セックスはとても良いものよ。
自分のセクシュアリティやフェチを開拓するのは楽しいし。
セックスって知的で、スピリチュアルで、とても奥が深いものだと思うの。
ただ、このゲイタウンで垂れ流しにされてるセックス文化は何か違う。
「もっとマッチョに鍛えて、もっと男らしく振る舞って、もっと多くの人とセックスをしろ!」
そんな声が聞こえてくるくらい、少し不自然だとあたしは感じる。
ゲイタウンにはもう足を運ばなくなった彼も、そう感じたのかもしれない。
「ある日、このゲイタウンに蔓延しているライフスタイルが自分の求めているものではないと気付いた。もしこれがゲイのあるべき姿なら、私は自分をゲイとは金輪際呼ぶのは止めようと思う。」
そう続けた彼は、このゲイタウンの問題点を射抜いていた。
思春期の頃から、あたしは「他とは違う」とどこかが感じていた。
だから、カミングアウトして、その「他とは違う」部分をもっと知りたかった。
ゲイタウンはきっと、虹色のように「他とは違う」人がたくさんいるんだと思ってた。
でも、ここで数年生活してみて、それが事実ではないとわかった。
このゲイタウンでは、「ゲイ」という既存のライフスタイルがあって。
それにピッタリはまる人なら、きっと天国のように楽しいんだろうけど。
そんなゲイのステレオタイプにハマらない人にとっては歪な世界である。
だから、レズビアンやトランスジェンダーの人はここをコミュニティとは呼ばないし。
その違和感に気付いた人たちは、ここを離れていくんだろう。
あたしもそんな一人だったりする。
「昔のゲイタウンはこんな感じじゃなかったんだけどね。」
と、この街に40年近く住んでいる友達は言う。
彼云く、当時のゲイタウンはもっと自由で、多様だったらしい。
ゲイたちは、「フツー」という概念から脱すべく戦っていたのに、いつのまにか違う「フツー」にハマってしまったのね。
既に用意されてるライフスタイルは、一から築く必要がないから便利なのよね。
そんな感じで、奇抜で、ラジカルで、飛び抜けているゲイは淘汰されていった。
そんな「フツー」なゲイが残ったのが、今のゲイタウンなのかもしれない。
「ゲイとしてこんなにオープンに暮らしているのに、全然自分が幸せかどうかわからない。」
そういう人ってけっこう多いとカウンセラーの同僚は言う。
もちろん、他人が作り上げた道を生きるのは簡単なのかもしれない。
ただ、みんながみんなそれを幸せだと感じるかといえばそうではない。
今こそ、「フツー」なゲイのライフスタイルを問いただしてみる必要がある。