ただ今、The Grid TOの『次世代ゲイの始まり』という記事が大きな話題となっています。
この記事では、自らを次世代ゲイと呼ぶトロント在住の9人が彼らの“ゲイとしての経験”を赤裸々に語っています。
つまり、トロントというゲイの権利が確立された街で、今のゲイはどのように変わって行くのかについて論じているんです。
キャシーは正直、記事の写真を見ただけでどうせろくなことは書いてないだろうと思って、最初は読まずにパスしました。
白人ゲイを9人集めちゃ、偏った記事になるに決まってるもの。
しかし、あまりにも周りの反響が凄かったので、ちゃんと時間をかけて読んでみたんです。
そしたらやっぱり、予想通り下らない内容でした。
簡単に要約すれば、恵まれた人生を送った白人ゲイたちが、未だにレインボーとか、プライドとか、ゲイコミュニティにこだわってるゲイたちは古くさいと言っているわけです。
「次世代ゲイはレインボーを飾らないし、プライドパレードにも興味はないのさ。」
「ゲイとして戦うのは終わり。今は先代が頑張って戦って耕した畑の果物を楽しむ時さ。」
「僕はゲイのために戦ってないし、そもそも、この戦いは僕のものでもない。僕たちはラッキーなんだ。だから、僕たちのことを好きに呼ぶがいいさ。」
こんな意見で満ちあふれた記事は、キャシーには共感できませんでした。
ゲイとしてトロントで育てば、両親がゲイに理解がある確率は高いだろうし。
大学には必ずゲイ関連のグループがあって、運が良ければ高校にもある。
ゲイタウンに行かなくてもインターネットですぐにゲイ友達に出会えるし。
同性婚や社会的な認識もあって、至れり尽くせりです。
だからこそ、ラッキーな人ならゲイ差別にもまともに遭遇せずに。
家族にも友達にも支えられ、順風満帆なゲイライフを送れちゃうわけです。
そして、そんな順調な人生なら、わざわざ“ライフ”の前に“ゲイ”もいらないんです。
カミングアウトだって必要ないし、ゲイプライドもいらない。
“普通”に社会の中で生きればいいんだもの。
しかし、ゲイ全体を考えたときに、こんなに恵まれた人がいったい何人いるのかしら?
キャシーだって、いつかは自分をゲイと意識せずに“普通”に生きたいわよ。
でも、日々ゲイ差別を目にしていれば、不可抗力で勝手におでこにラベルがくっつくわけ。
そうした差別を無視して、クールに生きるのもできるけど、それは性に合わないの。
だから、本当に社会から差別がなくなるまで、この記事のような生き方には賛同できません。
「なんでそんなにムキになってんの?」
と、この記事のような生き方をしている人には笑われそうですが。
古くさいと呼ばれようと、自己満足と呼ばれようと、これは自分にとって大事なことです。
「友達ができない。」
「居場所がない。」
「親が受け入れてくれない。」
自分より若い子から毎週のようにこんなメールをもらって。
「もうゲイの戦いは終わった。」
だなんて納得がいきません。
ちなみに、この記事は予想以上に反響を呼んでいて。
キャシーは先週、この記事についてThe Globe and Mailの取材まで受けました。
カナダ最大級の新聞社まで動くなんて、大した騒ぎです。
しかし、こうした記事が出るだけあって、トロントのゲイコミュニティってそれの意味合いを失いつつあるのも事実なんですよね。
カナダ自体が保守的な政府に傾きかけている今、ゲイコミュニティが頑張らなきゃ、どんなバックラッシュが起こるかわかりません。
キャシーもいっそあきらめて、次世代ゲイを気取って、涼しい顔してるべきなのかしら。