気がつけばトロントに来てから10年経ってしまった。
ブログを始めたのがトロントに来てからすぐだったので、キャシーも10周年である。
何も考えずに書き出した「トロントのハッテン車窓」と、キャシーという存在が、まさか10年も続くとは考えてなかった。
この記事を読んでいる人の中には、10年前からフォローしてくれている人がいるかもしれないし、たまたま通りかかって読んでいる人もいるかもしれない。
せっかくの機会だし、この10年をさらりと振り返るので付き合ってちょーだい。
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2008年、留学一年生
テレビでしか見た事がなかったナイアガラの滝を前にして少しガッカリしたものの、トロントの開放的で多様な文化に数ヶ月もしないうちに惚れていた留学生のキャシー。
大学を卒業したばかりで、まだ人生経験の浅かった22歳の自分は語学学校に通いながら、トロントのLGBTコミュニティにどっぷり浸かって、スポンジのように新しい知識を学んでいた。そうやって学んだことを当時アメブロで開設したブログに綴っていたが、まだLGBTなんて言葉が日本に浸透していない時代で、ブログのカテゴリーの選択肢が「おかま」しかなかったのは甘苦い思い出ね。英語を学ぶため、そして、素敵な恋人候補と知り合うため、面白そうなイベントや集まりには欠かさず参加していた。彼氏は出来なかったが、この頃に出会った友達とは今でも親しい関係が続いている。コーヒーもまともにオーダー出来ない英語力で留学に来てしまった無謀な自分が、短い期間でカレッジ教育に通用する英語力を身に付けたのも、彼らのおかげである。
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2009-2010年、まさかの就職
大学卒業生向けの過酷な8ヶ月間のカレッジプログラムを無事卒業した自分は、当時ボランティアしていたNPO団体でパートタイムで働くことになった。
LGBT支援やHIV予防啓発には日本にいた頃からずっと興味があったが、まさかそれをキャリアにできるだなんて想像もしていなかった。運が良かったのだ。トロントのカレッジを卒業したところで、英語にまだ難があってアルバイト以外の仕事経験がほとんどない自分を雇ってくれる場所なんてきっとなかっただろう。このタイミングで仕事が見つかって、しかも、それが夢見ていた仕事だったことで、すっかり舞い上がっていた。パートタイムというのはネックだったが、トロントの物価が安かった時代だから節約すればなんとかなった。この仕事が好きすぎて、若さという勢いもあって、自分の全てをぶつけた。そのおかげでとても成長したし、様々なところでも評価されたが、ワークライフバランスの管理がとにかく下手で戸惑った時期でもあった。
ブログ「トロントのハッテン車窓」もいつの間にか読者が物凄い増えてしまって、一時帰国して新宿二丁目を歩いてた時に「キャシーさんですか?」とか声かけられて、インターネットのパワーの痛感した。
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2011年-2012年、ライターとしての成長
「コラム書いてみませんか?」とトロントの日本語マガジンBitsに声をかけられて、ライターとしての経験が全く無いにも関わらず、生意気に連載を始めた2011年、2017年に最終回を迎えるまで133回も連載を続けることができた。これがきっかけで、少しずつライターとしての経験も積んで、Badiや2Chopoでも連載を書くことになった。
昇進してフルタイムになって、収入も増えたことでダウンタウンから少し離れた一軒家の広めの地下室ワンルームに引越した。天井低いし、ネズミも出たが、やっと自立できた気がしてとても嬉しかった。25歳にして初めての彼氏ができて、試行錯誤して関係を築いていた時期でもあって、二人が別々に払っている家賃を合わせればダウンタウンのマンションに住めるという経済的な理由でスピード同棲まで至った。その彼氏と今でも同じ屋根の下でラブラブな関係を保っているのはある意味奇跡である。
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2013-2014年、新しい家族
トロントに来て5年目にして、やっと永住権を手にして、ビザの更新を心配する生活にバイバイできた。長かったぁ。
当時、ツイッターのフォロワーが急増していた時期で、キャシーの食べログなんてページまで登場するくらい外食していた。ツイッターで差別や偏見の話をすることも増えて、その流れで書いた記事「フェアな社会とは何か?平等と特権と差別をもう一度考える。」は今でもRTされるほどで、このブログで一番読まれている記事だと思う。
いろんな意味で余裕が出来た時期でもあって、彼氏と犬を飼うと決めて、ヒューゴくんが2014年末に家族の一員になった。オフィスまで仔犬だったヒューゴくんを連れて来て、子育て(?)しながら仕事したのは流石に大変だった。
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2015-2016年、転職と就活
人生、山あり谷ありというが、この10年からすればここら辺が谷だった。5年以上勤めた仕事先を離れて、新しい仕事を始めることになったが、正直怖かった。慣れた環境で甘やかされて、違う環境で全然活躍出来なかったらどうしよう。今より遥かにスケールの大きいプロジェクトに面して、自分が培って来たものが通用しなかったらどうしよう。そんな不安を抱えて転職した。慣れない仕事をこなしつつ、コラムの連載を三つも抱えながら、コンサルタントとしても働いていて、ほとんど休みがなかった。
2016年に入って、悩んだ末に当時の仕事をフルタイムではなく、コンサルタントの契約にしてもらって、コミュニティに関わる仕事から一度離れようと決めた。ずっとNPOで働いて来たから、違うエリアで自分を試してみたかったからだ。ほぼ一年間就職活動に励んだ末に、教育機関で教員、社員、生徒に人権教育やLGBT支援を提供する仕事に出会えた。
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2017-2018年、新たなチャプター
今までの経験を活かせる全く感触の違う仕事は自分にとって新しいスタートとなった。NPOで勤めていた頃はカジュアルな格好だったが、最近は基本的にビジネスカジュアルなのでイメチェンしたと最近言われる。全身ユニクロなのにね。
ブログやコラム以外の媒体にもずっと興味を持っていたので、遠藤まめたさんと一緒にポッドキャスト「にじいろ交差点」をやることになり、初心に戻ってオーディオファイルの編集からポッドキャストのアップロード(意外とめんどくさい)まで学んだ。今までのキャシーのコンテンツからすれば堅い内容で、受け入れられるか少し不安だったが、今のところ評判もよく、ダウンロード数も順調に伸びている。
この秋より、大学院生になることも決まった。専攻は教育で、今の仕事で扱っているダイバーシティ戦略や人権教育のデザインや導入をもっと学んで行く予定だ。トロントに来た頃から大学院にいつか入りたいと思っていたが、英語の試験で相当高いスコアが必要で、永住権がなければ学費もバカにならないので、ずっと先延ばしにして来た。今の上司の応援もあって、昨年末のアプリケーションを出して、ずっと結果を待っていた。IELTSで十分なスコアは取れたが、大学時代にそこまで成績にこだわってなくて、それが響いて入学出来なかったらどうしようとビクビクしていた。無事に入学できて本当に良かった。
本当はもっと書きたいことがいっぱいあるんだけど、とんでもないボリュームの記事になってしまうからほとんど端折ってしまった。
そんな感じで、この10年の道のりを振り返ってみた。
やっぱり思うのは…
このブログと、キャシーが今でも続いているのは、こうして読んだり、聞いたり、応援してくれている人がいるから。
この10年間、ありがとうございました(本当に)!
そして、これからもよろしくお願いします。
自分も、この10年間お疲れ様。
PS.
もしキャシーに関する思い出があれば、ぜひコメント欄かツイッターでシェアしてください。