黒人コミュニティにスポットライトを当て、さらに同性愛をテーマにしている低予算映画『ムーンライト』が、アカデミー賞で作品賞最有力候補だと思われていた『ラ・ラ・ランド』を退けてアカデミー賞作品賞を獲得した。2006年のゲイカウボーイ映画『ブロークバック・マウンテン』がアカデミー賞作品賞を獲得できなかったのがもう11年前であるというから驚きだ。そう考えると、この11年でいろんなことが変わったように思える。
そんな『ムーンライト』の横で、『ゴースト・イン・ザ・シェル』は白い目で見られている。世界的にカルト的な人気を誇る1995年の日本のアニメ映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のハリウッド実写版である本作は既に失敗作の烙印が押されている。
映画自体がそもそも面白くないという評価以上に、『ゴースト・イン・ザ・シェル』はホワイト・ウォッシュだと指摘されてネガティブなイメージが一気に広がってしまった。ホワイト・ウォッシュというのは、現代のニューヨークを舞台にした映画なのに白人のキャラクターしか登場しなかったり、原作では有色人種であったキャラクターなのに白人に書き換えられてしまう行為を指す。スカーレット・ヨハンソンが草薙素子を演じると発表されてから、ホワイト・ウォッシュ問題に関する議論が一気に盛り上がり、本作の商業的失敗に繋がった原因の一つになったと考えられている。
白人俳優が日本人のキャラクターを演じること自体に問題はないと考える人は多い。しかし、こうした問題を分析するには歴史や社会背景を考える必要がある。有色人種のキャラクターはハリウッドで侮辱されてきた歴史がある上に、北米では今でも有色人種をメディアで目にする機会が少ない。アジア人や黒人のキャラクターはステレオタイプのままだったり、ホラー映画で真っ先に殺されたりする。
こうしたメディアはただの娯楽だからと軽視はできない。ホワイト・ウォッシュは見えにくい人種差別の一種である。自分自身と同じ人種をメディアで見ないことで、子供の自尊心の発育にも悪影響が出るとも言われている。そして、映画の中の黒人がいつも危険なギャングとして登場すれば、そのイメージが定着して、実際に「黒人=暴力的で危険」という潜在意識を植え付けかねない。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』のホワイト・ウォッシュ問題をもっと悪化させたのが、原作を手がけた押井守がスカーレット・ヨハンソンが演じる草薙素子に太鼓判を押したというニュースである。押井守や他の日本人が問題ないと言っているのに、どうしてホワイト・ウォッシュだと騒ぐ必要があるのかという批判の声が登場し、火に油を注ぐことになった。しかし、この問題はスカーレット・ヨハンソンの演技の問題でもないし、押井守の個人的な見解で解決できる問題でもない。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』はハリウッドがずっと抱えている人種問題の一角である。たまたま運悪くスポットライトが当たっただけで、『ゴースト・イン・ザ・シェル』自体の問題よりも、それが体現するもっと大きな社会問題を見ていく必要がある。そして、北米のアジア系コミュニティが最も影響を受ける問題であるにも関わらず、日本にいる日本人の声で正当化したところで火が消えるわけではない。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』とは対照的に、今の北米の人種問題をとことん風刺したスリラーホラー映画『ゲット・アウト』は大ヒット中である。
『ローズマリーの赤ちゃん』や『ステップフォードの妻たち』といったホラー映画をオマージュした本作は、まさに今の北米のパロディである。映画として面白い上に、上手に人種問題が盛り込んであって、トランプ政権で揺れる今のアメリカにふさわしい作品である。これがここまで大ヒットしているのも、ここ数年の社会背景があるからなのだろう。この映画が日本や中国で公開されて、どのように受け止められるのかとても楽しみである。
『ゴースト・イン・ザ・シェル』が商業的に失敗し、『ムーンライト』や『ゲットアウト』といった作品が成功したことで、これからのハリウッドにも変化が現れると願いたい。白人を主役に据えないと映画は商業的に成功しないという言い訳はもう通用しない。