朝、身支度をしていると携帯の着信音が聞こえた。
手に取れば、弁護士からだった。
今までの経験上、弁護士から電話がかかってくるときはいつも悪いニュース。
「来年はワークビザ厳しいかもよ?何か策を練ろう。」
「法律が変わって、早急に新たに書類を用意する必要が…。」
「移民局側のミスで大変なことになったの!今から来れる?」
またそんな内容の電話かと思うと、ちょっと胃の調子が悪くなる。
逃げてどうにかなる問題ではないので、深呼吸して電話に出る。
「もしもし。」
「もしもし、キャシー?」
やたらテンションが高い声に少し戸惑う。
「ねぇ、凄いものが届いたんだけど、何だと思う?」
「え?まさか…」
あたしが何か言う前に弁護士がこう言った。
「そう、永住権!」
予想以上に早く結果が届いて、喜ぶところなのにピンと来ない。
ここまでの道のりが険しかったせいか。
あまりにあっさりとした結末に動揺していたのかもしれない。
映画の中なら、ここらでもう一波乱あってもおかしくない。
「今から来れる?」
「もちろん!」
仕事に遅刻してしまうが、今は永住権を握りしめたい気持ちでいっぱいだ。
「永住権が取れたので、仕事遅刻します!」と上司にメールして。
少し駆け足で弁護士のところまで急いだ。
ゲイタウンを通り過ぎながら、5年前にトロントに来たときのことを思い出す。
2008(22歳)まだカミングアウトしたばかりで、とてもナイーブだったあたし。
新しい都市での生活と、オープンな社会にずいぶんと気持ちが浮いていた。
英語もろくにできなかったけど、なんでも成し遂げられそうな勢いだった。
カナダに移住する気などなく、一通り楽しんで日本へ帰るつもりでいた。
いろんな友達と知り合って、デートもそこそこ楽しんで。
ゲイライフを謳歌するゲイの“模範生”だったキャシー。
2009(23歳)トロントに来て1年ほど経つと、しだいに現実に打ちのめされるようになる。
カレッジでの勉強は人一倍頑張ってやっと追いつけるくらいで。
卒業しても就職できる見込みはなく、お金に余裕もない。
日本に帰ったところで、どんな仕事にありつけるのかもかわらない。
人生で初めて涙を堪えきれずに泣きに泣いた失恋もして。
最終面接まで残って、手応えのあった仕事も最後の最後で逃し。
人生って甘くないんだな、と今更身をもって知る。
その代わり、あきらめずに這いつくばっていれば何かしら道が開けるとも学ぶ。
2010(24歳)パートタイムのアウトリーチワーカーとしてトロントのNPOで勤めながら。
仕事に、プライベートに、とにかく忙しく駆け回っていた1年の終わり。
自分のワークビザの期限が迫って、決断をする日がやってくる。
「日本へ帰るか?トロントに残るか。」
あまりに決断を先延ばしにしすぎて、危うくステータスを失うところだったが。
精一杯貯めたお金を使って、弁護士を雇って、正式に移民の手続きを開始した。
2011(25歳)仕事もフルタイムとなり、収入が安定し。
人生で初めての一人暮らしが始まった。
同じ頃に、人生で初めて真剣な交際も始まって。
ダイエットに励んで落とした体重は幸せ太りであっという間にリバウンドした。
2012(26歳)1年交際した彼と同棲を始めて、ライフスタイルも激変。
仕事も、恋愛も順調だった中、タイムリミットは刻々と近づいていた。
年末までに永住権が降りなければ、カナダでの滞在が厳しくなって来る。
カナダを離れれば、永住権の取得自体も不可能になるかもしれない。
この数年の努力が、一瞬で吹き飛ぶかと毎日不安だった。
自分の力ではどうにもできないから、余計に苛立ちがつのる。
2013(27歳)もうダメかと思った矢先、奇跡のようなことが起こり。
カナダの移民法が大幅に改変され、ワークビザの延長が可能となり。
首の皮一枚繋がった状態で、トロントでまたいつものように暮らせるようになった。
今回ばかりはやばいと思ったが、悪運は強かったようね。
そして、今日カナダのアメリカのボーダーまでドライブして。
正式に永住権を取得し、カナダに再入国したわ。
「おめでとう!」
移民局の方にそう言われた瞬間、肩の荷がどっさり落ちた。
ここ数年目指していたゴールに、やっと届くことができた。
大学院にも現地の学生と同じ学費で行けるようになるし。
仕事先がリミットされることもないし。
タックスフリーの預金口座も作れるようになるし。
ローンを借りやすくなるし。
次はいつワークビザを失うか心配することももうない。
健康保険も途切れなくカバーしてくれる。
ただ、投票はまだできないのが残念だわ。
トロント市長のロブちゃんを追い出すのに一票でも多い方がいいのに。
これからどんな道を歩くのかはわからないけど。
これで人生のオプションが一気に増えた。
長い夜が明けて、目に染みるくらいキレイな朝日を見ながら。
次のステップへ進んで行くわ。
険しい道もあれば、美味しい道もあって、歩けない道もあると思うけど。
あきらめずに、自分なりに一歩一歩、誇れるような足跡を残して行こう。