どこからが本当のホモフォブ?

昨日の記事で、あたしこんなことを書いちゃったじゃない。

“ゲイフレンドリーじゃない人はどんどんホモフォブ扱いでいい”

でも、どこまでゲイフレンドリーならアライで。

どこまでゲイアンフレンドリーならホモフォブになるわけ?

ホモフォブとは、同性愛嫌悪を同性愛恐怖症を抱く人で。

ゲイという単語を聞いただけで、短絡的に「犯される!」と勘違いするおめでたい人たちのこととかを指すのよ。

そんな簡単にセックスにありつけるなら、あたしこんなに苦労してないっつーの。

同性愛者に対して暴力を振るったり、暴言を吐く人はもちろん。

自分の子供が同性愛者だということが受け入れられない人や。

異性愛が普通で、同性愛は異常と考えている人まで。

あたしの理解では、ホモフォブはこのような人たちを意味する。

昨日の記事でも散々書いたけど。

「あたし、ゲイでも全然気にしないよ。」

なんてフレンドリーに接してくれる人は、ニュートラルな存在だと思うの。

「あたし、黒人でも全然気にしないよ。」

トロントで政治家がこんなこと言ってみなさい。

たちまち大問題にハッテンするから。

そこからさらに一歩進んで、ゲイコミュニティに貢献をする人はアライと呼べる。

たとえば、最近なら同性婚支持を表明してくれたオバマさんかしら。

ちなみに、これもあたしの理解よ。

じゃ、いったいどこからが本当のホモフォブなのかしら?

つい最近、プロ野球チームのトロントブルージェイズの選手が。

「おまえらはオカマだ!」

と、顔にペイントをして試合に出た。

もちろん、これは深刻な事態となり、各メディアも取り上げた。

「違うよ!ゲイ差別じゃなくて、ただ書いてみただけよ。」

とこの選手は説明しているんだけど。

あんたね、常識としてそんな差別用語を顔に書く?

「ただ書いてみた」って、その無神経さはホモフォブそのものじゃない?

「違うんだって、俺ゲイの友達もいるんだから!」

へぇ、ゲイの友達がいれば「オカマ」と言っても許されるのね?

さらに、忘れてはいけないのがトロント市長のロブ・フォードちゃん。

「あ、プライド中は家族で別荘に行くから!」

と、過去の市長たちが築き上げたプライドとの関係をあっさり悪化させ。

市長の仕事でもある市庁舎のレインボーの旗揚げもすっぽかしたり。

LGBTやHIV/AIDS向けの資金は「お金の無駄」とカットしようとしたり。

どこからどう見ても、ホモフォブの彼なんだけど。

「私は家族にもゲイの方がいて、差別なんてとんでもない。」

とか、ゲイフレンドリーアピールばかりするわけよ。

トロントの文化なのか、マルチカルチャーリズムの弊害なのか。

ここの人って、レイシストやホモフォブの烙印を押されるのが凄く怖いらしいの。

だから、口先ではゲイフレンドリーなアピールをするわけよ。

ただ、それで隠し通せるわけもなく、どんどんぼろが出て。

仕舞には自分がしたことを棚において、自己正当化しか考えなくなる。

家族や友達にゲイがいるとか、もう耳にたこができるくらい聞いたわ。

別にあなたのゲイ友達は関係ないから、自分がしたことをホモフォビックだったと潔く認めれば?

その方がお互いに気持ちよく生きられるわよ?

トロントに生きていれば、多文化共存は簡単ではないとわかる。

白人と先住民、ノンケとゲイ、移民とここで生まれ育った人たち。

これだけごっちゃになれば、確執はあってもしょうがない。

だから、自分がホモフォブでもレイシストでもないと主張する前に。

誰もが多少はホモフォブでレイシストだと理解し、向き合う方が大事だと思うわ。

ほら、ミュージカル『Avenue Q』でもこう歌ってるじゃない。

「Everybody’s a little bit racist!」

(訳:みんなちょっとはレイシストでしょ!)

で、話を戻すんだけど。

結局、どこまでからがホモフォブなのか?

あたしも含めて、みんな多少はホモフォブなのよ!

それを認められずにいるホモフォブはたちが悪いだけで。

未だにヘイトクライムとか企てているホモフォブは論外よ。

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