HIV/AIDSの仕事と喪失。

16 7月

気付けば、HIV/AIDSと関わるようになって5年が経った。

最初は自分のような若いゲイに対する性教育が不足しているからと。

軽い気持ちでクラブイベントでコンドームなんか配ってたりしたのが。

いつの間にか、HIV/AIDSに対する強烈な偏見や差別に惹かれて。

こんなにどっぷりと本職になってしまったわ。

しかし、1985年生まれの自分はHIVが恐ろしかった時代を知らない。

映画や本では読んだことがあるし、散々先輩の口から聞いているけど。

友達がHIVに感染してバタバタ倒れていくこともなければ。

治療薬がほとんどない状態で、友達が死ぬのを見守ったことない。

ある意味、HIVに関して言えば“戦後”の世代だ。

そんなあたしだけど、毎朝この家の前を通って仕事に行く。

Casey Houseと呼ばれるこの建物は、ケアが必要なHIV陽性者が入院する場所。

知人がここに入院したときは、覚悟を決めて会いに行ったのを覚えている。

それだけ、ここで息を引き取る人も多い。

ここを通る度に、まだまだHIVと必死に戦っている人がたくさんいて。

HIVとそれに対する社会の偏見との戦いは終わってないと気付かされる。

そして、今年の初めの話に戻るんだけど。

4年間もお世話になった同僚が亡くなった。

いつも他人のことを気にかける優しい人で。

仕事仲間としても、友人としても、本当に尊敬していた。

余命数ヶ月と聞いたときはショックで、どうすればいいかわからず。

それでも何もなかったかのように、入院している彼を訪ねるのはつらかった。

彼も自分の病状はよく知っていただろうに、いつも笑顔を見せてくれた。

凄く彼らしいと思ったんだけど。

そんな来週にも死ぬかもしれない状況で。

彼のリクエストで最後にパーティを開催することになった。

「悲しいパーティでは彼に失礼だから、せっかくなら彼の人生を祝福するようなハッピーな集まりにしよう。」

とみんなで決めたが、それを企画する側としては正直とても複雑だった。

キャシーは、彼に贈るスクラップブックを作ることになったんだけど。

彼の写真をかき集めて、一つ一つ貼っていく作業はとても重かった。

20代に、ゲイ仲間とステージで踊っている写真。

30代に、HIV陽性者のサポートをする仕事を始めたときの写真。

40代に、自分の結婚式で満面に笑みを浮かべた写真。

そんな彼の人生の瞬間は、どれも凄く輝いていて。

正直、どう受け止めれば良いのかわからなかった。

その肝心のパーティ当日、たくさんの人が集まって。

みんなでいっぱい笑って、騒いで、堪えきれずに隅っこで泣いている人もいた。

あたしが用意したスクラップブックも、ステキなメッセージで埋まって。

それを見たときの彼の反応が楽しみだったんだけど。

その次の週に風邪でキャシーが倒れ込んでしまって。

結局、自分で彼に渡すことはなく。

そのパーティの一週間後に彼は亡くなったの。

彼と最後に話したのも、そのパーティだったわ。

それでも、スクラップブックをとても喜んでくれたと後で聞いて安心した。

葬式も終わって、オフィスに戻れば当然彼はもうそこにはいない。

それまで忙しくしていた同僚たちも、みんな喪失感に襲われていたようで。

「みんなでこれを語る場を作ろう。」

ということで、ある午後にみんなで集まった。

一人ずつ、ゆっくり今回のことについて語って、泣いて、笑って。

そのまま自分の番になって、言葉が出る前に涙が溢れ出た。

うちの同僚の中でも、あたしは最後まで泣かなかったから。

自分でもそれに驚いて、それだけ堪えていた事に気付いた。

そのまま思いっきり泣いて、心の中に溜ってた思いを吐き出した。

HIVの治療薬がまだ発達してなかった時代に。

こんな喪失が日常的だったのかと考えると怖くなった。

これがあたしにとっては初めて誰かが死ぬのを見守った経験になる。

父が亡くなったときは、ある意味突然でもあったし、この感触とは違った。

そして、この経験を経てもう一度自分の仕事、そして人生を考えた。

あのスクラップブックに収めた彼の人生の歩みと同じくらい。

キャシーも輝きながら生きて行かなきゃなと。

 

 

追記:
この記事はずっと下書きのフォルダにあって、少しずつ編集しながら4月の頃から書いていたんだけど、最後まで納得のいく文章になりませんでした。いい加減に、こんなにたくさんの感情をまとめるのは無理だと感じて、荒削りなまま載せました。
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コメント / トラックバック1件 to “HIV/AIDSの仕事と喪失。”

  1. TKGREG 2012年7月16日 @ 8:47 AM #

    辛くて、でも素敵な思い出をありがとう。僕は初めてサン・フランシスコを訪れたのが1985年。2,3日の滞在だったけれど、そこらじゅうのアパートが空家だったり、食事中の会話もいつどこで誰がエイズのため亡くなったといったものが多くて、結局ゲイバーには怖くて行けずじまいでした。でもあの時の衝撃のようなものをベースにしながら、ゲイとしてまじめな生活をここテキサスで築いてきたように思います。

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