前回に引き続き、社会の差別について書いております。
キャシーの友人の面接で、面接官が投げつけた。
アジア人向けのエイズサービスを提供するのは、白人に対する差別なんじゃないの?
って質問、皆さんはどう思いますか?
トロントという多文化な街に住んでいても。
アジア人の地位というのは、決して高いものではありません。
以前、3回企画でゲイコミュニティーの中の人種問題を書いたときにも触れていますが。
白人に比べれば、アジア人はずっと社会的に不利な立場に居ます。
このアジア人向けのエイズサービスが立ち上がったのも、そういうことが背景にあります。
今は段々と良くなってきていますが、当時は。
クラブに出かけても、アジア人は全然相手にされないし。
相手にされても、セックスや恋愛で主導権が白人にあることが多くて。
そうやってマイノリティーが集まり、お互いをサポートするようになったのです。
これを、白人が“逆差別”だと言う訳です。
他の例として。
トロントでは、公共の場のクリスマスの装飾を禁止している場所が多いです。
その理由は、たくさんの宗教が共存するトロントで。
1つの宗教だけを強調することに難色を示す人が多く、不平等だからです。
これも、多くのキリスト教信者が“逆差別”だと訴えています。
人によっては。
北米だし、白人もキリスト教も大多数なんだから。
彼らにそういった権利は与えられて当然だと考えるかもしれません。
しかし、カナダの法律下で、人は皆平等です。
だからこそ、そういった社会のパワーバランスをできるだけ平等に近づける必要があるのです。
簡単なことです。
例えば、身長が高い子供と身長が低い子供が居て。
身長の低い子供はテーブルに届かないので。
親が少し高めの椅子をその子に買ってあげるんです。
そうすれば、2人とも同じテーブルでご飯が食べられるでしょ?
でも、背の高い子供は、その高い椅子が羨ましくなっちゃうんです。
そして、親に向かって自分は高い椅子がもらえてないと泣きつくんです。
あの白人の面接官も、これと同じです。
自分は既に社会から十分な恩恵をもらえているにも関わらず。
自分より弱い立場に居る人のためのサポートを、自分への差別だと考えてしまうんです。
平等な社会とは。
すべての人が同じで、すべての人が同じものをあげて、もらうのではなく。
みんなが違っているから、みんなが平等に近づけるように、その隙間を埋められる社会です。
そんな社会を批判する人は。
差別家、もしくは自分や他人の社会的地位に鈍感な人です。
まぁ、誰がどんなものをもらうのか。
それを平等に近づくように分配するのは簡単なことではありませんが。
そこはまた別の議論になっちゃうんで、とりあえず置いておきましょ。
ここまで読んで。
キャシーが白人は差別に会うことはないと言っている様に聞こえる方も居るかもしれませんが。
非常に難しいところです。
たとえば。
キャシーが最近紹介したムスリム女性と白人女性の騒動では。
キャシーの友達の白人女性が。
男性に対しても対等っていうか、むしろ上から目線な態度を批判されて。
バイセクシュアルとカナダ人を理由に、部屋から追い出されそうになったわけで。
そこらへんも、非常に線引きが難しいから。
カレッジ側も慎重に行動に移したんでしょうね。
そんなわけで、日本に居るとあんまり見えてこないこういった差別問題。
トロントに居ると、本当に日常の中で対峙することもしばしば。
日本だって、差別はいっぱいで。
部落差別や在日朝鮮人、外国人参政権問題など。
無視はできないことがたくさんあります。
社会って本当、僕たちが思うより全然不完全なものです。
さて。
こんなにお堅い話をしちゃったから。
次の記事は『キャシー、乱交パーティでついに・・・』くらい過激で弾けてないと。
って、そんなに性生活潤ってたらって切に願うわ。