ものさし。

正しくあることより、優しくある方が大切だ


ある日、トロントの街中でふと見つけた看板に書いてあったフレーズです。

この世界、見回してみれば。

正しいと確信を持って言えることなんて一つもない。

みんなが違う「ものさし」で正しさを測っている。

しかし、たまにその自分の「ものさし」が合っているのか不安になってしまう。

そうすると、きまって人は。

他の人の「ものさし」に文句付けて、自分の「ものさし」の正しさを証明しようとする。

偉そうに書いてしまっている自分だって、例外ではない。

それが人間の弱さなんだと思います。

先月、韓国でゲイトランスジェンダーのタレントさん2人が自殺しました。

1人はテレビ番組でゲイだとカミングアウトし。

もう1人は、テレビ番組で「女装した男性」として出演しました。

その後、彼らのホームページには中傷や非難が殺到し。

彼らの事務所との契約も更新されず。

それが自殺の背景になったのではないかとされています。

彼らがメディアにいては、「ものさし」が狂う人がいる。

だから、中傷する。非難する。

同性婚の非合法化だってそう。

同性婚が成立してしまえば、「ものさし」が正しくなくなっちゃう人がいる。

だから、その「ものさし」を守るために、反対する。

今日、授業の一環で、中国人生徒9人にインタビューする時間があった。

自分はあえて、コレを聞いてみた。

「台湾から来た留学生が、「台湾人」という表現を使うのをどう思いますか?」

すると、9人が口をそろえて。

「許しません。」

ちょっと驚いた。

1人くらいはフォローする意見を持っていると思っていたけれど。

彼らは。

以前のクラスで「台湾人」という表現を使っていた人が居たので。

「みんなで非難しました。」

と、全クラスメートの前で言い放ったのです。

それだけ頑丈な「ものさし」なんでしょう。

5日にカリフォルニアで同性婚の無効化が可決されてから。

その夜に、大規模なデモパレードが発生しました。

私たちだって、「ものさし」を守ろうと必死です。

ここで1回、この言葉に戻るけど。

正しくあることより、優しくある方が大切だ


この「ものさし」って捨てられないのかな?

他の人を非難して、中傷して、間違っていると決め付けて。

それで勝ち取った「ものさし」なんて、本当に正しいの?

正しいのかもしれないけれど。

他に道は無いの?

今こそ、「ものさし」を捨てるときなのかもしれない。

これ以上、私はもう「ものさし」を守るための戦いには意味を見出せません。

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