以前の記事 で一度触れていますが、未だにキャシーは父のことを乗り越えてないようです。
昨日は父の命日でした。
キャシー、人生での一番の心残りといえば彼との関係です。
父が生きている間、それはもうひどい親子で。
口を開けば喧嘩をしていました。
その原因も、自分がゲイだったことが大きいです。
父が亡くなった日は・・・。
誰にも涙を見られたくなくて、一人で部屋にこもって思いをぶちまけた日記を書きました。
だって、あんなに嫌いだったのに。
自分の目から溢れ出てくる涙に、全然納得ができませんでした。
なんで自分、泣いてんの?
って考えながら、それでもポロポロ。
その時書いた日記はずっと開けなくて、ずっと放置していました。
そして、昨日。
親戚で集まって、一緒に食事をしました。
当然、父の話になり。
なぜか急にいろんなものがこみ上げてきて。
あっという間に目頭が熱くなって。
もう涙が1時間近く止まらず。
家に帰るまで、まともに口も開けませんでした。
自分でビックリです。
まだここまで引きずっていたなんて。
泣いているときに。
おばちゃんになぐさめられましたが。
何か違う。
亡くなったことがこの涙の理由じゃない。
でもなんで泣いてるのか、わかんない。
家に帰って、恐る恐るあの日記を開いてみる。
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今朝、父が亡くなりました。
あまり友達には言っていませんでしたが、父は6年前より白血病を患っていました。一昨年に移植をして、回復へと向かっていたのですが、この夏に様態が急変しました。昨日、大学で電話をもらい、病院に駆けつけたのですが、、、もう“生きている”とは言えない状態でした。充分長く苦しんだので、これでやっと安息できたと思います。結局、父とは一度もちゃんと向き合えませんでした。ここから先は、ずっと考えてた事をまとめただけです。自分の整理のためにも書いておこうと思います。父の死で泣く事はないと思っていたのですが、病院で苦しんでいる姿を見たとき、わっと涙が溢れました。
たぶん、父は僕のような“男の子”が気に入らなかったんだと思います。運動が苦手な上に、病弱で、“男の子らしい遊び”には全然興味を示さずに、絵ばっかり描いてるような“男の子”は彼の理想の男性像からはかけ離れていたのでしょう。小さいときから何かとつけて、そういった指摘をされてきました。僕は小学校に上がる前から自分に“違和感”を感じていました。そして、ゲイの存在を知ったのは中学校の時でした。父と一緒にテレビを見ていた時です。実際にゲイである人達がテレビに出ていて、感動したのを覚えています。そんな時に、何かの会話の流れで父がこんなことを言いました。
「自分の子がゲイだったら、自分の手で殺す」
とにかくショックでした。父と自分との間に大きな溝ができました。もう話すのも嫌になり、肌が触れる事に嫌悪感さえ覚えるようになりました。周りはただの反抗期だと思っていたようですが、実際はもっと深刻な状況だったと思います。それから父が病気になり、怒りもぶつけられず、ただただ無感情にたまに“優しく”してあげていました。常に「早く死ねば良いのに、、、」って考えていました。葬式の日は、きっとスッキリした気分で迎えられるのかと思っていました。でも、そんなに冷たくはなれないものなんですね。
結局、どうすればよかったんでしょう。カミングアウトして、父が納得するまで主張すれば良かったのでしょうか。それとも、自分を封じ込めて、父が思う通りの息子になれば良かったのでしょうか。僕が異性愛者だったなら、父とは笑っていられたのでしょうか。亡くなったことがつらいというより、父との関係に対して何も手が出なかった事が悔しいです。正直、こんな社会が憎いです。怒りで涙が溢れてきます。父が自分のことを知らずに、亡くなってしまった事がやるせないです。
こんなことダラダラと書いてすみません。どこにも吐けないので、つい。今は書けば、書くほど混乱するので、ちょっと休みます。とりあえず無事に葬儀が終わるまで、冷静にいこうと思います。今僕が泣けば、周りがもっと混乱するので。
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なんか、読んだらスッキリしました。
人間の感情って不思議です。
正直、今日もあまり本調子ではないのですが。
涙の代わりに、スポーツで汗を流したら、少し楽になってきました。
毎年、この時期には涙が襲ってきそうです。
でもゆっくりと、それに向き合える日が来ると信じています。
だって、亡くしたものより、遥かに得たものの方が多いもん。
いつもよりマジメなキャシーでした。